宗教学者の父が娘に語る宗教のはなし × 島田裕巳【略歴】
(毎週火曜日更新)
第1回 (2015.1.6)
いつもメールでやり取りしているので、改めてここで書く必要もないのかもしれないが、君も元気でやっているようで、それは何よりです。・・・<続きを読む>
第2回 (2015.1.13)
日本人が「無宗教」だというのは、君が日本にいたときもよく聞いていたはずだ。君自身も、「宗教は何か」と聞かれたら、「無宗教です」と答えたんじゃないかな。・・・<続きを読む>
第3回 (2015.1.20)
この前、「じゃあ、宗教って何なのよ」と君のメールにあったから、僕は、「宗教というのはレディー・ガガみたいなものだよ」と答えたら、君は「何言っているの。お父さん適当なんだから」と怒ってたよね。・・・<続きを読む>
第4回 (2015.1.27)
これは宗教学で使われる用語なんだけれど、「エピファニー」ということばがある。ほとんど裸で現れたレディー・ガガは、このエピファニーかもしれないと、僕は思うんだ。
第5回 (2015.2.3)
前回はそうだったよね。君が、「じゃあ宗教って何よ」と聞いてきたから、僕は、空港にほぼ裸であらわれたレディー・ガガのことを例にあげて、エリアーデの説いた・・・。
第6回 (2015.2.10)
エピファニーのことについては、レディー・ガガのことだけじゃなくって、むしろ誰からも宗教家だと思われている人たちのことにもふれないといけないね。レディー・ガガは宗教家とは言えないわけだから。
第7回 (2015.2.17)
また、話がずれたと怒られそうだね。
そうそう、ムハンマドの話だ。
商業都市のメッカに生まれたムハンマドは、本人も商人になったらしい。
第8回 (2015.2.24)
いきなり君の前に天使が現れて、神のメッセージを伝えてきたらどうする。
君はそんなことあり得ないと言うかもしれないけれど、そういう体験をした人間というのは、宗教家には少なくないんだ。
第9回 (2015.3.3)
前回は、そうそう、天照皇大神宮教の北村サヨという教祖のことを書いたんだったね。
そうかい、かなり興味がわいたみたいだね。
第10回 (2015.3.10)
そうそう、神憑りっていうのは難しいよ。
なにしろ、現れた神様が本物なのかどうかって重大な問題があるからね。
第11回 (2015.3.17)
仏教の歴史や、釈迦の教えが本当ははっきりしないということは、ここではひとまず置いといて、釈迦の体験の話に戻ろう。それがここでのテーマだからね。
第12回 (2015.3.24)
釈迦は菩提樹の下で悟りを開いた。これは伝説なのかもしれないけれど、そう伝えられてきている。
仏教という宗教は、この釈迦の悟りから出発するわけで、釈迦はその悟りをもとに教えを説くようになる。
第13回 (2015.3.31)
儒教ねえ。
たしかに、中国には儒教があるよね。日本も、その儒教の影響を受けているのは間違いない。
第14回 (2015.4.7)
いつものように、ちょっと脱線気味だけれど、話を儒教そのものに戻そう。儒教は果たして宗教なのかという、君の疑問に答えないといけないからね。
第15回 (2015.4.14)
宗教ってものは、どれも相当にダイナミックなものだ。なにしろ聖なるものが出現するエピファニーが根本にあるからね。
ムハンマドの前には天使が現れたし、釈迦はぎりぎりの状態で悟りを開いた。イエスは、なにしろ十字架にかけられて殺されている。
第16回 (2015.4.21)
エピファニーをまるで欠いている儒教というのは、宗教と言い難いものなんだけれど、その考え方というか、教えというのは案外大きな影響を与えている。
第17回 (2015.4.28)
君もエピファニーを体験してみたい。
なるほど、いろいろとエピファニーを体験した人たちのことにふれてきたわけだから、君がそう思うのも無理はないね。
第18回 (2015.5.12)
マリアはベルナデットの前に何度も現れるわけで、彼女はたびたび洞窟を訪れることになる。すると、その噂を聞きつけた人たちが、好奇心にかられて、洞窟の周囲に集まるようになっていった。
第19回 (2015.5.19)
父なる神が暇な神になって背景に退いて、今度はイエス・キリストが前面に出てくる。この神の交替劇によってキリスト教という新しい宗教が成立したとも言えるね。
第20回 (2015.5.26)
水がわき出してから一週間も経っていない、3月2日に、マリアは「司祭に行列と礼拝堂をたのみに行きなさい」というメッセージを伝えてきた。
第21回 (2015.6.2)
原罪の観念というのは、キリスト教の特徴になっているわけで、人類であれば、誰もそれを免れることはできないとされている。
第22回 (2015.6.9)
じゃあ、ルルドの泉で聖母マリアと出会ったベルナデッタはどうなったかって。
そりゃ、たしかに気になるところだよね。なにしろ、ルルドは、その後、多くの巡礼者を集めるようになり、カトリックの三大巡礼地の一つに数え上げられるようになるわけだからね。
第23回 (2015.6.16)
カトリックの世界における聖者崇拝、聖人崇拝のことについては、少し話をしたことがあるんで、ここでは、修道女ということについて考えてみることにしよう。
第24回 (2015.6.23)
曾野綾子さんという小説家がいるのを知っているかい。
最近では、小説は発表していないようだけれど、人生論関係の本がベストセラーになっていたりする。
第25回 (2015.6.30)
曾野綾子さんは、『不在の部屋』のなかで、第2バチカン公会議を経ることによって、日本の修道院がどのように変化していったのかを描いている。
第26回 (2015.7.7)
第2バチカン公会議以前の修道院がそうであったように、世俗の世界と神の世界とを分ける壁が高かったということは、この二つの世界を明確に区別しようとする意識が強かったということだと思う。
第27回 (2015.7.14)
何だって、君の友だちが失恋した!
失恋の痛手から立ち直れなくて、「もう私死ぬ」とか、「人生の生き甲斐がなくなって、何もしたくない」と叫びまくっているというわけかい。
第28回 (2015.7.21)
そうそう、この前はイスラム教の話をしなきゃって、僕はそう言っていたはずだ。
イスラム教の場合にも、失恋の悲しみを癒してくれるような教えは説かれていないんじゃないだろうか。
第29回 (2015.7.28)
日本人は、イスラム教のことが分からない、分かりにくいと考えている。
それも、日本にはまだイスラム教徒が少ないからだ。
第30回 (2015.8.4)
イスラム教の教義の中心に何があるか知っているかい。
それは、「六信五行」と呼ばれている。それは、イスラム教徒が信じなければならない6つの事柄と、イスラム教徒がしなければならない5つの行為からなっている。
第31回 (2015.8.11)
失恋事件は解決したのかな。
そんなことをメールしたら、しばらく返事がこなかったけれど、「それよりもイスラム教の話をしてくれ」って。
いやだから、まあ、人生いろいろあるわけだ。
第32回 (2015.8.18)
たとえばね。
海外のメディアが、日本人の初詣の様子をルポしたとする。
大晦日の深夜、神社には多くの日本人が詰めかけていて、元旦になったときの開門を待っている。
第33回 (2015.8.25)
イスラム教について考えようとするときには、僕らは、一度、キリスト教を基準にして考えるのを止める必要がある。イスラム教も、キリスト教も、同じく一神教に分類されてはいても、そのあり方は随分と違う。
第34回 (2015.9.1)
僕ら日本人は、社会というものを考えるときに、社会はさまざまな組織によって構成されると考えている。
たしかに、日本の社会には実に多様な組織があって、僕らは、皆、なんらかの形で組織に所属している。
第35回 (2015.9.8)
宗教が暴力に結びつくというのは、何も現代だけに見られることじゃないね。
ヨーロッパの中世では、十字軍という試みがあった。
第36回 (2015.9.15)
イスラム教の立場からすれば、自分たちが信仰しているアッラーは、ユダヤ教やキリスト教で信仰されている神と同じで、神はそれしかいないということになる。
第37回 (2015.9.22)
十字軍に参加した騎士たちは、自分たちは聖なる戦いに従事していると考えていたかもしれない。そういう宗教的な目的が掲げられていなければ、いくら略奪が目的だとは言っても・・・。
第38回 (2015.9.29)
日本の宗教には、ユダヤ教やイスラム教にあるような食物規定はないよね。
だから、こうしたことがいかに大きな意味を持つかについては・・・。
第39回 (2015.10.6)
今では、イスラム教徒の女性たちは、どこでもスカーフを被っている。これは、「ヒジャブ」と呼ばれている。
ただ、どこまで覆うかでいろいろな名称があって・・・。
第40回 (2015.10.13)
そんなに面倒なものなら、宗教なんていらないじゃない。
たしかに、君の言う通りかもしれない。
第41回 (2015.10.20)
現代医学の欠陥と言っていいか、仕方のないことでもあるけれど、病気の原因を教えてくれないということのほかに、治療の方法がない病気については・・・。
第42回 (2015.10.28)
宗教が衰退して、無宗教の人間が増えている。
これは、日本でも言えることだし、ヨーロッパでも起こっていることだ。
第43回 (2015.11.3)
これは、ロンドンにいる君に聞いてみたいところだけれど、ヨーロッパの人たちがキリスト教から完全に離れてしまったとしたら、いったいどうなるんだろうか。
第44回 (2015.11.10)
何? 話が難しくなっているって。
たしかに、宗教の問題を考えていくと、かなり厄介なことが出てくるし、何しろ、究極的な価値をどこに求めるかということになってくるから、それも仕方がないんじゃなかろうか。
第45回 (2015.11.17)
日本の社会は、エピファニーが起こりやすいとも言えるね。
なにしろ、そうしたものに敵対したり、取り締まったりする宗教的な権力が存在しないからね。
第46回 (2015.11.24)
「一遍聖絵」は、一遍が亡くなってから、わずか10年で作られたもので、実際に同行した人間がことばを書いたのではないかと言われているから、事実を伝えている可能性が高い・・・。
第47回 (2015.12.8)
中世から近世にかけては、さまざまな神が現れるという出来事が起こったわけだけれど、近代に近づいていくと、今度は、生き神という人たちが現れるようになる。
第48回 (2015.12.15)
そろそろ君も日本に帰ってくるというわけだね。
どうだい。早く帰りたい、それとももっといたい。
そりゃそうだ。日本にいるより、面白いことも多いようだから・・・。
第49回 (2015.12.22)
留学もそうだし、旅行もそうだね。とくに長期にわたる旅行だと、自分が生活している国から離れるわけだから、そこで日常生活が中断することになる。
第50回 (2016.1.5)
どうだい、通過儀礼として留学を考えてみたら、何か気づくこともあるんじゃないだろうか。
第51回 (2016.1.12)
宗教というものが、僕らにとって意味をもつのは、そこには、試練に直面した人間の物語がたくさんあるからだ。
第52回 (2016.1.19)
そうなんだよ。君の言うとおりだ。
けっきょく、エピファニーというのは通過儀礼に通じている。