宗教学者の父が娘に語る宗教のはなし 第3回 島田裕巳
この前、「じゃあ、宗教って何なのよ」と君のメールにあったから、僕は、「宗教というのはレディー・ガガみたいなものだよ」と答えたら、君は「何言っているの。お父さん適当なんだから」と怒ってたよね。
たしかに、何の説明もしないで、レディー・ガガが宗教だなどと言い出すのは、間違いなく説明不足なんだけど、とりあえず、そう言ったら、君が何かを考えてくれるんではないかと思って、僕もそう言ってみたわけなんだ。
何か考えてみたかな。
普通、むしろレディー・ガガは、宗教とは対立するものだと考えられているよね。なにしろ、国によっては、レディー・ガガがやってきてコンサートをするとなると、彼女の衣装があまりに過激なので、不道徳だと、コンサートに反対してデモが起こったりする。
日本に来たときにも、空港でファンの前にあらわれたとき、ほとんど裸で、大事なところは隠していたものの、全身透ける白いタイツのようなものを着ていただけということがあった。
しかも彼女は、それが彼女にとっての「正装」で、日本のファンが自分を支持してくれるから、正装で現れたと答えていた。日本では、デモは起こらないけれど、呆れたと思う人だっていただろうね。
世間の関心を集めるためなら、彼女はどんなことでもするんだと思った人もいるだろう。そういう人は多いと思う。
でも、その一方で、ファンはもちろんだけれど、「レディー・ガガはさすがだ」と思った人もかなりいたんじゃないかな。
実際に、空港で彼女を迎えたファンの人たちは、ほとんど裸で現れたレディーガガの姿を見て、度胆を抜かれたはずだ。
コンサートのステージでは、これまでもそんな格好をしたことがあるけれど、なにしろその時は空港だからね。これまで、そんな格好で現れたスターなんていなかったはずだ。
ファンのなかには、その光景に接して、異様な感覚をおぼえた人もいたんじゃないだろうか。
あり得ないものが目の前にあるという、それまで経験したこともないような衝撃を受けた人がいても不思議じゃない。
それは、普段とは違う非日常の体験だ。普段は人が行き来するだけの空港が、その瞬間だけ特別な空間に変わったんだ。
逆に、そんな感覚を生まなかったとしたら、レディー・ガガの試みは失敗したことになるはずだ。
そのとき、何か異様なものにふれた。彼女としては、ファンにそう感じて欲しいからこそ、そんな大胆な試みをしたはずだ。
いくら、大胆さでは知られている彼女にしても、それはかなり勇気がいることだったんじゃないかとも思う。
でも、レディー・ガガは、レディー・ガガがじゃなきゃいけない。つねにファンに衝撃を与える存在でなければならないんだ。
僕は、こうした彼女のパフォーマンスを宗教として考えることができるんではないかと思っている。
別にそれは、彼女が宗教家だというわけじゃない。教祖とか、開祖とか、そういう人物だというわけじゃない。別に彼女は、教えを説いているわけではないしね。
でも、宗教というものの基礎には、体験ということが必ずある。宗教が生まれてくるというときには、その宗教を開いた教祖や開祖といった人たちの体験が出発点になっている。教祖や開祖は、神や仏に出会ったという体験をしてていて、そこから教えを説くようになるからだ。
開祖や教祖ではなくても、「神秘家」と呼ばれるような宗教家でも同じだ。やはり何か特別な存在と出会うことによって、宗教の道に入っていく。
一般の信者だって、そんな出会いをする人もいる。
僕らにように、神社の拝殿の前で祈っていても、そうはならないけれど、懸命に祈り続ける人に、神さまや仏さまがあらわれるということは、いくらでもあることだ。
どうだい、レディー・ガガが宗教だと言った意味がわかってきたかい。
(この続きは、書籍(弊社より2016年3月刊行予定)でお楽しみください)