鵜の目鷹の目ココロの目 第9回

 現代ロボット考 志村史夫

 

 ある年齢以上の日本人(特に男性)にとって最も思い出深いロボットといえば「鉄腕アトム」ではないだろうか。「鉄腕アトム」が登場したのは、いまはない月刊誌『少年』の昭和27年4月号においてである(その連載は昭和43年3月号まで続いた)。その頃、5つ上の兄と一緒に毎月『少年』を購読していた私は、ほとんど、その誕生の頃から「鉄腕アトム」の活躍ぶりを知っている。じつは、この「鉄腕アトム」の「誕生日」は「2003年4月7日」である。作者・手塚治虫が「鉄腕アトム」を誕生させた62年前、21世紀は「遠い未来」だったのである。いま、われわれは現実的に、「遠い未来」だった21世紀を、もうすでに15年も過ぎた時間の中で生きている。

 いまやロボットは「遠い未来」のものでも「空想の世界」のものでもなく、現実世界のさまざまな分野に深く入り込んでおり「身近な存在」である。

 産業用ロボットは主に製造分野で活躍してきたが、最近は原子力発電所や石油・化学プラントなどで活動する極限作業ロボットも増えている。これからは、人間はもちろん、従来のロボットが入れなかったような狭い場所(究極的には人体内や血管内)に入って点検、保守、修理・治療などをするマイクロ.ロボットが活躍するようになるだろう。

 ところで、もう10年以上前のことであるが、市民講座でロボットの話をした友人が「あなたは、これからどのようなロボットを望みますか」というアンケートをとった。その結果は、私の予想に反して、一般市民の多数が欲しがっているのは、人間ができない仕事、あるいは人間がやりたくない仕事をしてくれるようなロボットでも、仕事を自分の代わりにやってくれるようなロボットでもなかった。なんと「話し相手になってくれるロボット」だったのである。

 私は、その話を聞いた時、ぞっとしたのであるが、事実、いまでは、そのような「ペット・ロボット」が少なからず生産され、「愛用者」も少なくないらしい。時折、特に「敬老の日」には、介護施設などで老人がロボット犬と戯れる姿がテレビに映し出されるが、多少なりともロボットにつながるような仕事に従事してきた私はそのような光景に接するたびに、言いようのない暗い気持ちにさせられる。

 時代は変わり、われわれの技術が目指すものも変わりつつあることを痛感させられるのであるが、最先端技術に支えられる現実の、そして未来の社会に、言い知れぬ不安を感じるのは私だけであろうか。

 手塚治虫は、なんと1949年に出版した『メトロポリス』という漫画の中に「おそらく いつかは 人間も 発達しすぎた 科学のために かえって 自分を滅ぼして しまうのでは ないだろうか?」という台詞を書いているのである。