鵜の目鷹の目ココロの目 第7回

「訓辞」の季節 志村史夫

 

 日本の年度の替わり目である3月、4月には卒業式、入学式、入社式などで校長、学長、社長らの「訓辞」が聞かれる。「有名大学」、「有名企業」あるいは「有名人」の「訓辞」が新聞などで紹介されることも少なくない。私は毎年、これらを読むのを楽しみにしている。官僚らが作って政治家が読み上げるようなものは別として、それらの「訓辞」はそれぞれの人が気合いを入れて考えたものであろうから、そこにはその人の見識や教養が如実に現われるのがまことに興味深いのである。

 もう半世紀ほど前になるが、大河内一男東大総長(当時)が卒業生に贈った訓辞の中の「太った豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ」という「名言」は、当時「文武両道」を校訓とする、つまり「筋骨たくましいソクラテス」を目指す男子高校(浦和高校)に入学直前の私を複雑な気持ちにさせる、非常に印象深いものだった。

 もちろん、大河内総長の訓辞の中の「豚」は“欲望の塊”の象徴(それにしても、豚に対してなんと失礼なことか!)であり、「ソクラテス」は“インテリ・知的エリート”の象徴である。この言葉の背景には、ソクラテスに代表される「インテリ」は「痩せたもの」(「青白きインテリ」という言葉が懐かしい)という固定観念があるのは明らかであり、大河内総長がいわんとすることはわかる。つまり「太った豚」になるくらいだったら、あえて「痩せたソクラテス」を目指せというストイシズムである。

 しかし、私は『食悦奇譚』(塚田孝雄)という本を読んで、大河内総長の「名言」の中で象徴的に扱われている「ソクラテス」も「豚」も歴史的事実とは相当掛け離れたものであることを知った。

 実際のソクラテスは、祖国アテナイが戦争に突入するたびに、青銅の重い甲冑を身に着け、長槍と長剣を携えた精強部隊の一員として出征した。兵士の選抜は中流階級以上の筋骨たくましい者に限られており、抜群の体力の持ち主以外にはとても任務に耐えられなかった。一方の豚は当時、野生のイノシシからあまり分化しておらず、気性も荒く、痩せてはいても決して太ったものではなかったのである。それにしても、豚を家畜化し、「改良」によって丸々と肥えたものにしてしまったのは人間自身の欲望であるにもかかわらず、豚が“欲望の塊”の象徴にされてしまったのはいつごろからのことなのだろうか。宮崎駿監督の大ヒット・アニメ映画「千と千尋の神隠し」の中でも豚がそのように扱われていた。人間というのはじつに勝手なものである。

 いずれにせよ、ソクラテスは太っても痩せてもいない筋骨隆々の人物であったに違いない。

 ところで、大河内総長の「名言」は、古代ギリシャ時代の豚とソクラテスの実態を知らなかったゆえの「迷言」だったのか、本当は「痩せた豚、筋骨隆々のソクラテス」を承知の上での含蓄ある「名言」だったのか、私にはわからない。

 ともあれ、古代ギリシャ時代の実情を知ったお蔭で、私の長年の溜飲が下がったのである。

 私は大河内総長の「太った豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ」という「名言」を初めて聞いた時から今日に至るまで、「太った豚」はもとより、「痩せたソクラテス」になろうと思ったことは一度もなかった。私が「豚」なのか「ソクラテス」なのかはさておき、少なくとも、高校時代以降、私が「痩せた」ことは一度もない。やはり、筋骨たくましい「ソクラテス」がいい。混沌複雑な現代社会においては、筋骨たくましくなければ、せっかくの知性も教養も十分に活かせないではないか。

 今年の年度の替わり目、どのような「名言」、「迷言」にお目にかかれるか、楽しみである。