鵜の目鷹の目ココロの目 第49回

カジノ解禁法案 志村史夫

 

 私が好きな古典落語の世界では「飲む、打つ、買う」は噺の展開に欠かせず、「飲む人」、「打つ人」、「買う人」は往々にして「主人公」でもある。「飲む、打つ、買う」いずれも、あまり誉められたことではないが、古今東西、なかなかやめられない人間(特に男)の性(さが)なので、そこから、落語に限らず実際の悲劇、喜劇ができあがっていくのである。いずれにせよ、「飲む」はまだしも「打つ、買う」は、当人も周囲の人間も「しょうがねえなあ」と暗黙の了解の上に行なわれるもので、それが「訳知り」の“おとな”の態度である。少なくとも、あまり威張ってするようなものではないし、堂々と人目に晒されるようなものではないのである。

 ところが、この「打つ」(いまさらいうまでもないが「ギャンブル」のことである)を行なうカジノの解禁に道を開く法案が、白昼堂々と、しかも国会という場で成立させられるというのだから驚いた。確か、「刑法」に「賭博罪」というのがあったように思うが、それはどうなったのか。 まあ、慌てて強行採決したところを見ると、成立を急いだ連中(国会議員!)にも、多少のうしろめたさがあったということかもしれない。マスコミや反対する国会議員は、衆議院での5時間余の審議時間を「不十分!」と追求していたが、良識というものを考えれば、「カジノ解禁法案」に審議の必要があるだろうか。審議など必要なく廃案にすべきものではないのか。また、いまは死語なのだろうが、昔「良識の府」と呼ばれていた参議院でも「参考人(有識者?)」を呼んで意見を聴き、可決したことにはさらに驚いた。参議院議員は、自分自身の頭で結論を出せないというのか。参考人の意見を聴くまでもなく、廃案にすべきものに決まっているではないか。

カジノ解禁法案賛成、推進者、参考人は、カジノが「地域経済の活性化、経済効果につながり、地域振興の起爆剤になる」ことを期待しているらしい。

 ちょっと待ってよ。

 その起爆剤となる利益、経済効果の元はギャンブルに負けた人の懐から出るものであろう。つまり、「人の不幸」を前提にしたものである。もちろん、ギャンブル依存症になったり、ギャンブルで不幸になってしまうような人間自身にも問題があるが、不幸な人から巻き上げた金を、堂々と「地域経済の活性化、経済効果、地域振興」の元手にしていいのか。私にはカジノ解禁法案賛成、推進者の感覚が信じられない。彼らの下品さに唖然とする。不幸な人から巻き上げた金を元手にした「活性化、経済効果、振興」の恩恵を得ようとしている地域も、その地域の人たちも、それを恥だとは思わないのか。

また、2014年の厚生労働省の推計では、ギャンブル依存症の疑いがある人は成人の4.8%、536万人という。カジ解禁法案が成立し、全国に複数の「地域」にカジノが解禁され、ギャンブルが公然と認められれば、新たなギャンブル依存症患者を生み出すであろうことは常識的に明らかである。さらに、ギャンブル依存を原因とする犯罪が増加するであろうことも常識的に明らかである。

 笑止千万なことに、カジノ解禁法案推進派の連中は、カジノの収益の一部をギャンブル依存症対策にあてればいいと主張しているらしい。このような「主張」が本末転倒であることは小学生にもわかるだろう。

 日本のかじ取り役である安倍首相はかねてから「観光促進、雇用創出の効果は非常に大きい」とカジノ解禁に前向きで、カジノ解禁がもたらすさまざまな社会問題よりも、海外からの観光客呼び込みを含む経済効果を重視するというのだから本当に情けない。私は一人の日本国民として恥ずかしい。

 私の暮、正月の楽しみの一つは、寄席やテレビで古典落語を聴いて大いに笑うことである。「飲む、打つ、買う」は「しょうがねえなあ」という古典落語の中の「笑いのネタ」だけにしてもらいたい。