鵜の目鷹の目ココロの目 第48回

レガシー 志村史夫

 

 最近、およそ100年前の「明治神宮創建プロジェクト」をテーマにした小説を読んで感動したことがきっかけになって、「明治神宮」、「明治天皇」に関する本を読み漁っている。そして、先日、霧雨の中を、久しぶりに内苑、外苑を散策し、感動を新たにした。

 当時の権力者・大隈重信の横槍、反対を押し切り、古来伝統的な杉や檜の針葉樹ではなく、多種の広葉樹で「神宮の森」を設計し、150年後の完成を描いた林学者・本多静六、本郷高徳、上原敬二ら関係者の執念、自信、責任感に対し、私は深甚なる敬意と感謝の気持ちを禁じ得ない。彼ら学者を信頼し、彼らへの全面的サポートを惜しまなかった当時の実業界の重鎮・渋沢栄一、東京府長などを歴任した阪谷芳郎らの実務者へも同様な敬意と感謝の気持ちを禁じ得ない。

「明治神宮」は、明治時代の偉人たちによって構想された大プロジェクトであり、大正、昭和、平成時代に引き継がれた、まさに「レガシー(legacy)」である。

 ところで「レガシー(legacy)」とは「(祖先や先人の精神的・物質的)遺産、遺物」(『ランダムハウス英和大事典』)の意味である。

 この「レガシー」という言葉を2020年東京オリンピックに関して頻繁に耳にするようになった。特に会場の新設を求める競技団体や「関係」者、アスリートたちが「東京オリンピックをきっかけに、『レガシーを築く』」というように「レガシー」を強調している。バレーボール会場として「有明アリーナ」の新設を主張する日本トップリーグ機構の川渕三郎会長は、10月の記者会見で「レガシーはお金の問題ではなく心の問題」と、私にはわけがわからないことを語気を強めていっていた。英語“legacy” の本来の意味を考えるならば、これからできるものを「レガシー」ということに違和感を覚えるが、“legacy”も「レガシー」になってしまえば、これは「日本語」なので、この際、「本来の英語の意味」というような野暮なことは控えよう。新しい日本語の新しい使い方も是認されるのだろう。

 競技団体や「関係」者たちが「レガシー」や「アスリート・ファースト」を楯にして会場の新設を叫ぶ気持ち(ホンネ)はよくわかる。

 彼らは、2002年に日本で行なわれたワールドカップサッカーのために新設されたスタジアムのほとんどが毎年多額の赤字に苦しんでいるのを知らないはずはあるまい。私が暮らしている市にあるスタジアムは毎年約6億円の赤字が続いており、この赤字を負担しているのは県税(県民)である。このような、まさに「負のレガシー(遺産?)」をどのように考えるのか。

 また、彼らがよく口にする「アスリート・ファースト」が笑止千万なことは、本欄「“真夏の祭典”オリンピック」(第42回、2016.9.2)で指摘した通りである。

繰り返せば、オリンピックの開催時期を、日本(東京)でのスポーツ競技の時期としては最悪の真夏にしたのはなぜなのか、ということである。

その理由ははっきりしている。

国際オリンピック委員会(IOC)の主要財源である放映権を一番高く売れるのが欧米の人気プロスポーツと日程が重ならない真夏の開催だからである。

本当に「アスリート・ファースト」というのであれば、東京オリンピックの最適開催時期は10月であろう。2020年東京オリンピックの開催時期を、アスリートにとってはもとより観客にとっても最も過酷な真夏に決めたのは、IOCの「マネー・ファースト」体質ではないか。「アスリート・ファースト」とはおこがましい。

 私が不思議に思うのは、このような開催時期をめぐるIOCの「マネー・ファースト」体質批判がマスコミにまったく現われないことだ。当の「アスリート」からの批判も、私は寡聞にして知らない。先日、1964年東京オリンピックの「金メダリスト」が、川渕会長の両脇に立って、テレビカメラの前で「アスリート・ファーストを考え、有明アリーナの新設を!」と涙ながらに訴えている姿を見たが、彼女らはIOCの「マネー・ファースト」体質による「真夏のオリンピック開催」をどのように考えているのであろうか。本気で「アスリート・ファースト」を訴えるのであれば、まずは「真夏の開催時期」に言及して欲しい。会場以前にはるかに重大なことだと思うのだが。

 プロサッカーやプロバスケットボールの振興・集客に「偉大な業績」をあげた川渕会長のような人がいくら「アスリート・ファースト」を叫んでみても、「マネー・ファースト」に聞こえてしまうのは私の偏見だろうか。