鵜の目鷹の目ココロの目 第47回

会津藩「什の掟」と電通「鬼十則」 志村史夫

 

 

 

「会津遺産」事業として地域の「宝」に光を当てることに取り組んできた会津若松商工会議所が先月末、小冊子『伝えたい会津藩の教学(おしえ)~よみがえれ、会津の心』(以下『会津の心』)を発行した。かねてから、幕末、「明治維新」期、薩長「官軍」による理不尽な仕打ち、苦難を乗り越えてきた会津藩に対して同情と尊敬の念を抱いている私は、早速『会津の心』を拝読させていただいた。

 幾多の苦難を乗り越えてきた強靭な「会津の心」の源泉は会津藩祖・保科正之が1668年に発した「家訓十五か条」であり、武士の子どもの心構えとして大切にされた「什の掟」である。紙幅の都合上、いまここで、それらの詳細に触れることはできないが、私がいつも「什の掟」の中で感心するのは「三、虚言をいってはなりませぬ」「四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ」「五、弱い者をいじめてはなりませぬ」である。これらはいずれも「当たり前」のことではあるが、決して「当たり前」になっていないのが現在の世の中である。「什の掟」は「八、ならぬことはならぬものです」で結ばれている。これも「当たり前」のことではあるが、決して「当たり前」になっていないのが現在の世の中である。

 私は福島県の温泉が好きで、一年に何度も出かけるのであるが、会津では市中ばかりでなく温泉、露天風呂などでも「ならぬことはならぬものです」と書かれた短冊を目にすることが多い。私は,温泉に浸かりながら、いつも「会津はいいなあ」と感心している。「ならぬことはならぬ」のである。直近では、舛添前都知事らに是非とも見せたい短冊である。

 こうして『会津の心』で私の気持ちが癒されていたおり、「社員の自殺」「過労死」「パワハラ」で強制捜査が入った電通の「鬼十則」なるものが飛び込んできた。

 この「鬼十則」は「電通中興の祖」「広告の鬼」と謳われた吉田秀雄4代目社長が1950年頃、社員の心得として全社員に配布したものだそうで、これが現在も電通の企業風土の基盤になっているらしい。

 私は、ここに書かれている十則のうち八則は、どのような職種であれ「仕事」をする者の心得として賛同するのであるが、「5.取り組んだら「放すな」、殺されても放すな、目的完遂するまでは」と「6.周囲を「引きずり回せ」、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる」は、たとえ「心得」としても、いささか度が過ぎていると思う。いかなる利益を追求する「企業戦士」であっても、「ならぬことはならぬ」のである。

 いささか、蛇足気味ではあるが、アメリカの新大統領となるトランプ氏にも「会津の心」、「ならぬことはならぬ」を献じたい。