鵜の目鷹の目ココロの目 第42回

“真夏の祭典”オリンピック 志村史夫

 

 17日間にわたり多くの熱き感動を与えてくれたオリンピック・リオデジャネイロ大会が閉幕した。

 スポーツは無条件に楽しく、面白く、観衆を引きつけ、観衆に無類の感動を与えてくれる。特に、4年に1度の国が威信を賭けて戦うオリンピックは格別である。私は表彰台に上がるような選手たちの長年にわたる過酷な訓練、忍耐、精神力に心からの敬意を表し、「日の丸」が掲揚されるのを見、「君が代」を聴けば涙を抑えることができない。

 もちろん、オリンピックで観衆に直接的な感動を与えてくれるのは国を代表する選手たちであるが、運営に当たる「縁の下の力持ち」さんたちの貢献も忘れてはいけないだろう。私は、2週間にわたって無類の感動を支えてくれた彼らにも心から感謝したい。

 閉会式の「五輪旗引継ぎ式」で、五輪旗を受け取ったのが「セコイ」という日本語を世界に広め、国内外に恥をさらした舛添前東京知事でなくて和服姿の小池知事でよかった。引継ぎを受けるのが舛添前知事のような人物では、いささか恥ずかしい。それにしても、閉架式会場に「スーパーマリオ」姿で現れた日本の首相を見た時、「スーパーマリオ」についてまったく知識がなかった私には何がなんだかまったくわからず、「スーパーマリオ」が任天堂のゲームのキャラクターであることを知らされた直後は唖然とさせられた。それにしても、現在の「日本文化」の象徴がアニメやゲームのキャラクターとは! 私にはもう付いていけない。

 いつごろからだったか忘れたが、私には、「縁の下」の「下」で「利権」のために露骨に、あるいは隠れて暗躍する政治家やプロモーターや関連業者たちの存在が「スポーツが与えてくれる純粋な感動」に水をさすのが顕著になってきたと思えて仕方ない。

 今回、「オリンピック」の前に「真夏の祭典」という冠が付いた新聞記事が目立ったが、オリンピックが“の祭典”になったのはいつからなのか。

スポーツの祭典は“スポーツの秋“に行なわれるものではなかったのか。

実際、前回の1964年に開催された東京オリンピックは、天候や衛生管理を考慮して、10月10日に開会式が行なわれた。当時、私は高校1年生であったが、親しい友人(結果的に金メダリスト)が日本の代表選手の一人として行進したこともあり、あの抜けるような青空の、爽やかな日の開会式をいまでもはっきりと憶えている。

 オリンピックの開催時期を、スポーツ競技の時期としては最悪の真夏にしたのはなぜなのか。

その理由ははっきりしている。

 国際オリンピック委員会(IOC)の主要財源である放映権を一番高く売れるのが欧米の人気プロスポーツと日程が重ならない真夏の開催だからである。

 来る東京オリンピックでは「アスリート・ファースト(選手第一)」が掲げられているが、本当に「アスリート・ファースト」というのであれば、最適開催時期は10月であろう。

2020年東京オリンピックの開催時期を、アスリートにとってはもとより観客にとっても最も過酷な真夏に決めたのは、IOCの「マネー・ファースト」体質ではないか。「アスリート・ファースト」とは笑止千万である。

 私が不思議に思うのは、このような開催時期をめぐるIOCの「マネー・ファースト」体質批判がマスコミにまったく現れないことだ。少なくとも、私は寡聞にして知らない。