鵜の目鷹の目ココロの目 第40回

 連覇の偉業 志村史夫

 

 

 今年も全国都道府県代表49校が集う「甲子園の夏」、全国高校野球選手権大会が始まる。高校野球ファンにとっては待ち遠しかった年に一度の大イベントである。

 ちょうど一年前の本欄に、戦後の連続出場新記録となった9連覇を遂げた福島・聖光学院のことを書いた。私が聖光学院に興味をもった経緯についてはすでに述べたので(とはいえ、それを憶えている読者はいないと思うが)割愛する。

 私は今年も、準決勝、決勝の試合の応援に福島まで足を運んだのであるが、今年の興味はなんといっても「10連覇なるか」ということであった。「10」連覇には「9」連覇までとは比較にならない重圧がかかったに違いない。やはり、「10」という数字には大きな意味がある。地元のマスコミは「聖光の10連覇か、光南の10年ぶりか」と決勝戦を盛り上げたが、結果的に、心臓が苦しくなるような熱戦の末、「聖光の10連覇」となった。

 私は、昨年の秋以来、今年のチームを見てきたのであるが、例年になく、県大会、強豪校との練習試合に勝てないことを心配していた。

 事実、聖光学院の斎藤智也監督が「甲子園は考えられない状況だった」と振り返ったように、今年は群を抜いたチームがなく「戦国大会」といわれていた。しかし、終わってみれば、「甲子園」に直結する夏の県大会を制したのは聖光学院だったのである。

 連覇を続ける重圧はいかほどか。一度負けたら終わりのトーナメントを勝ち抜いて頂点に立つためには実力とともに運(斎藤監督はしばしば「球運」という言葉を口にする)も必要である。

 今年は、花巻東、仙台育英、浦和学院、早稲田実業、敦賀気比、大阪桐蔭、広陵などなど「甲子園常連校」が代表になれなかった。特に、昨年、全国制覇した東海大相模が神奈川県大会準々決勝でコールド負けしたのには驚いた。各都道府県の代表になるためには6試合、あるいは地域によってはそれ以上のトーナメントに勝ち抜かねばならない。準々決勝くらいからは「紙一重」の試合の連続である。その「紙一重」の試合に勝ち抜くことがいかに大変なことか。それが「連覇」となれば……

 メンバーがある程度固定されているプロのチームであっても連覇は簡単なことではないと思うが、毎年メンバーが入れ替わる高校や大学のチームの連覇は難しさが累乗される。たとえば、高校野球の場合、何十年に一人といわれるようなずば抜けた選手(特に投手)がいれば、過去にいくつかの例があるように、連覇は成し遂げられやすいのかもしれないが、それでも、団体競技であり、また極めて複雑な競技である野球はずば抜けた一人の選手で勝ち続けられるほど生易しくないのである。

 こうして考えると、「2連覇」でも偉業であり、「10連覇」というのは想像を絶する偉業である。スポーツに限らず、碁でも将棋でも、なんでも「連覇」は偉業なのである。

 高校野球、特に今年の聖光学院の野球を見ていて、私が痛感するのは、監督、コーチの物理的、精神的指導の毎日毎日、毎時間毎時間の地道な積み重ねの重要性である。そして、それらを基盤にした、試合中の監督、コーチ、選手間の信頼関係である。それらがすべて「紙一重」の試合を勝ち抜く精神力、総じて実力をつくりあげるのであろう。

 昨年も書いたことだが、数あるチームスポーツの中で、選手と監督が同じユニフォームを着ているのは野球だけである。高校野球を見ていると、野球はまさに監督と選手が一体となって戦う競技であることが、あらためて納得できるのである。

 

 もちろん「甲子園」だけが高校野球ではない。私は一人の高校野球ファンとして、全力を尽くして試合に臨んだすべての監督、コーチ、選手に惜しみない拍手を送りたい。