鵜の目鷹の目ココロの目 第36回

 人間のスケール 志村史夫

 

いま執筆中の本のための調査、取材で出雲地方をまわった折、久しぶりに島根県安来市にある足立美術館を訪れた。

以前訪れた時は、「古代鉄」に関する調査のということもあり、横山大観の絵を駆け足で観ただけで、まことに恥ずかしながら、「大観」とともに足立美術館の「目玉」である日本庭園についてはまったく印象にのこっていなかったのである。

今回は時間に余裕があったので自慢の日本庭園をじっくり観賞することができた。

総面積5万坪におよぶという広大な日本庭園は「枯山水庭」「白砂青松庭」「苔庭」「池庭」など6つに分かれ、それらの庭自体がとても言葉には尽くせぬほどのすばらしさなのであるが、かなたの山や木々を借景にしていることで開放感と雄大さを楽しむことができる。

足立美術館創設者の足立全康の「庭園もまた一幅の絵画である」という言葉通り、ピクチャー・ウインドウ越しに見る庭はまさに絵画のように美しい。私が訪れたのは、新緑が美しい季節であったが、四季折々に変容する美しさは想像を絶するほどであろう。近くに住んでいるのであれば、四季折々はもとより、毎月でも訪れて観賞したい日本庭園である。

私は現地の「案内」を読むまで知らなかったのであるが、この足立美術館の庭園は、アメリカの日本庭園専門誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』で初回の2003年から2015年まで13年連続で「庭園日本一」に選出されているそうだ。まさに「さもありなん」である。

じつは、本稿の私の主旨は、このような、度肝を抜かれるような美術館を一代でつくりあげた足立全康という人物にある。

現・安来市の農家出身の足立全康は、尋常小学校卒業後、次第に商売に関心を深めていったのであるが、自らの初めての商売は、14歳の時、炭を大八車で運搬する傍らそれを売ることだったという。その後はまさに「類稀なる商才」を発揮し、故郷の安来と「商売の本拠地」大阪を往復し、一代で莫大な財産を築きあげたのである。裸一貫から事業を起こした足立全康ではあったが、若い頃から絵画収集にかける情熱は並外れたものであったらしく、大コレクションをつくりあげ、71歳の時に足立美術館を設立するまでに至るのである。莫大な財産を築きあげた足立全康の興味が、たとえばカジノや娯楽センターなどではなく、日本画であったことは幸いであった。

私は公立美術館とは異なる魅力を持つ数々の「個人美術館」を訪れているが、そのたびに、展示美術品に対する感動とは別に「どうして、一代で、これだけの美術館を持てるほどの財産を築きあげられるのだろう」とただただ不思議に思うのである。美術品収集と美術館建設に要する費用は、私などにはとても想像すらできないほどの額であろう。

それにしても、足立美術館のスケールは途轍もない。

それは創立者・足立全康という人物のセンスと途轍もないスケールの現われでもあろう。

現在、足立美術館には年間約50万人が訪れるそうである。その中には外国人も数万人含まれるという。

足立美術館の地元・安来市に対する文化的、経済的貢献ははかり知れないだろう。

足立全康はまさに「郷土の誇り」であるばかりでなく「日本の誇り」でもある。

こんなところで、枡添要一東京都知事の名前を出すことなど、足立全康に対して無礼千万であることを承知の上で書くのであるが、公費(政治資金?)のさまざまな濫用の中にはインターネットのオークションで美術品の買い漁りも含まれる。そのようにして得た美術品を自宅に飾っているという。この男の下品さ、セコさ、スケールの小ささは「対照」にもならぬほどである。

このような男が日本の首都・東京の知事だというのである。これ以上「東京の恥」「日本の恥」をさらしていていいのか。