鵜の目鷹の目ココロの目 第34回

 続・天災は忘れた頃に? 志村史夫

 

 熊本大地震の被害は甚大である。

 一年ほど前、私は取材で漱石旧下宿、五高記念館(熊本大学)、熊本城を訪れている。今回の大地震で熊本城が誇る石垣と天守閣は無残に崩壊し、レンガ造りの五高記念館の2本の煙突が倒れた。私にとって、熊本は「夏目漱石と寺田寅彦」(拙著『漱石と寅彦』牧野出版、2009)の関係でとても馴染み深く、愛着のある町だけに、今回の惨状を見るにつけ胸が痛む。大地震の被害は九州北部の広範な地域に及んでいる。改めて、地震が持つ巨大なエネルギーに、文字通り震撼させられる。

 昨年の9月、私は「鵜の目鷹の目ココロの目(第19回)」に「天災は忘れた頃に?」を書いた。日本人なら誰でも知っていると思われる「天災は忘れた頃来る」という警句は漱石の五高時代からの愛弟子である寅彦の言葉とされている。

 私は上記「天災は忘れた頃に?」を「最近の日本各地の火山活動の活発化を見れば、『天災は忘れた頃来る』どころか『天災はいつでも来る』ことをゆめゆめ忘れてはいけないのである」と結んだ。今回の熊本大地震は火山活動と関係するものではなく、熊本県を走る活断層の一つである「日奈久断層帯」が動いたことが主因だそうだが、日本ではこの四半世紀ですでに阪神、新潟県中越、東日本という3度の大震災を経験していた。そもそも、日本列島自体が地震列島なのであり、そのことは、ここに日本人が住むようになってから、われわれの先祖は嫌というほど経験してきたし、われわれ現代日本人はいま嫌というほど経験させられている。

5年前の東日本大震災の時と同様、今回も、アメリカの旧友数人から、日本人への見舞いのメールが届いた。世界の常識からすれば、状況的に暴徒化しても不思議でない被災者たちが整然と指示に従い、救援物資を譲り合っているという姿に感動しているというのである。私自身、テレビの映像を通じて、部外者の私には想像を絶する困難な状況下にある熊本大震災の被災者たちの整然とした姿と、支援物資や自衛隊、警察、消防などの救助隊、支援者らに対して心から感謝している様子をうかがい、大いに感動し、日本人の「底力」に誇りを持たせていただいている。

以下余談。

私はいつも災害時の自衛隊の迅速な出動と献身的な活動に心から感謝し敬意を表しているのであるが、一つだけ気になることがある。

被災地での自衛隊、警察、消防、地元の自警団などの救助隊の活動をヘリコプターからの画像で見ることがしばしばある。彼らのユニフォームは色分けされており一目瞭然である。この時、陸上自衛隊員が着ているのはいつも迷彩服である。もちろん、自衛隊員が「敵」がいる戦地などで活動する場合の「迷彩」服の意味はわかるが、被災地で救助活動を行なう時に「迷彩服」を着る

必要があるのだろうか。現実的に、もっと目立つ色のユニフォームを着た方が救助を待つ人にとっても共同で作業を行なう人たちにとってもよいと思うのだが。