鵜の目鷹の目ココロの目 第33回

 人工知能(AI)の衝撃 志村史夫

 

 人工知能(AI)囲碁ソフト「アルファ碁」が、いま世界最強といわれている韓国のプロ棋士、イ・セドル九段との5番勝負で4勝1敗と圧勝したというニュースは衝撃的だった。この衝撃が、私のような囲碁ファンにだけに留まらなかったことは、マスコミ報道の様子からもわかる。

 チェスでは1997年に、将棋では2013年にすでにAIは人間に勝っていたが、終局までの手数が天文学的に多く、また「コウ」という厄介なものがある囲碁では、さすがのコンピューターも一手一手をしらみつぶしに検討し、プロ棋士に勝つのは無理ではないか、少なくともあと十年くらいはかかるのではないかと思われていた。

 もちろん、「計算」や「記憶」ということについては、人間がコンピューターにかなわないことは、真空管18000本を用いた世界最初の“電子式コンピューター”がアメリカのペンシルベニア州立大学で作られた1946年の時点ではっきりしていたことである。

 だから、「AIが人間に勝った」ということ自体、驚くほどのことではないし、いまさら驚いても始まらないのである。

 しかし、今回の衝撃は、驚きの延長線上にあるものではない。

 従来のチェス、将棋、囲碁の「コンピューター・ソフト」は、コンピューターが人間よりはるかに勝る計算・記憶能力を最大限活かすための「テクニック」をものであった。たとえていうならば、人間は競走馬より速く走ることはできないが、競走馬を走らせるのは騎手という人間であるから、いくら競走馬が人間より速く走ったとしても、人間が衝撃を受けることはなかったのである。つまり、どれだけコンピューター(AI)の能力が向上し、人間の能力を凌駕しようが、コンピューター(AI)は所詮人間の道具に過ぎないという安心感があった(正直にいえば「安心感を持てた」)のである。

 ところが、今回のAI囲碁ソフト「アルファ碁」はいささかわけが違う。

 従来のソフトは過去に打たれた膨大な数の棋譜から最善手を探すというものだが、「アルファ碁」は画像認識などで注目が集まる「デイープラーンニング(深層学習)」という手法を使い、盤上に並ぶ石の形の良さなどを人間に教えてもらうのではなくAI自らが自己学習を繰り返すことによってというのである。このような「デイープラーンニング(深層学習)」こそ、無数の天才たちが集まるプロの世界で、ほんの一握りの一流、超一流棋士が生まれるプロセスであったはずである。

1986年、私は、一般向けの半導体エレクトロニクスの本(『砂からエレクトロザウルスへ』)を書いた時、エレクトロニクス機器を総称した“エレクトロザウルス”という言葉を創った。“エレクトロニクス”と恐竜の“〜ザウルス”を合成したのである。“エレクトロザウルス”は現代の科学と技術の粋を凝集したエレクトロニクスが生んだ“現代の巨大な怪物”の意味である。

 その本の「エピローグ」に私は「基本的に、エレクトロザウルスが果たすべき役割は、われわれの知的活動を支援し、単純労働の肩代わりをすることで、われわれ人間を支配することではない。あくまでも、エレクトロザウルスを調教し、支配するのは人間である。しかし、また、われわれが、エレクトロザウルスを支配すべき人間であることを自覚し、それを支配し得る能力、知力を身につけない限り、われわれ自身がエレクトロザウルスに支配される可能性があることも否めない事実である。」と書いていた。いま、私は30年前に抱いた危惧が現実のものになっていることを痛感するのである。

 エレクトロザウルスのような非生物が生物の世界で闊歩すればするほど、生物が生物である、そして人間が人間である根底を揺るがすのである。

 伊藤元重東大教授は「日本人は働き過ぎだ。情報システムやAIの有効利用によって、これまでの半分の時間で同じ仕事をこなせるようになるなら、それは素晴らしいことだ。新しい技術で社会システムを変革することで、より少ない労働時間で稼ぎ、残りの時間は仕事以外に使う。そうした変化を進めるべきだろう。」(「産経新聞」2016.3.14)という能天気なことを書いていたが、今回の衝撃的な事実は、まさに、エレクトロザウルスの質的な変化、革命的な成長の予兆であり、かのプロメテウスに厳罰を与えたゼウスさえも震撼させるような大事件と私には思われるのである。