鵜の目鷹の目ココロの目 第31回

 春のセンバツ 志村史夫

 

 春の高校野球“センバツ”が始まる。

 私は、数年前「甲子園」常連校の某監督とひょんなことから親しくなって以来、県予選、地区大会、甲子園まで何度も足を運ぶほどの高校野球のかなりの熱狂的ファンになっている。高校野球の面白さの大きな要素は、それが「ノックアウトトーナメント」で争われることである。1敗も許されないトーナメント方式の大会を勝ち抜くことは非常に厳しく、実際に戦う側も観客席で応援する側も1球1球に一喜一憂するスリルを味わうことになる。また、選手にとっては、3年間の「一期一会」の活動であることが、さまざまなドラマを生むことになる。

私自身、大昔、少年野球のピッチャー、4番バッターとして野球に夢中になっていたし、在米時代、最初に暮らしていたのがセントルイスだったこともあり、メジャーリーグのカージナルスの試合を何度も見に行くほどの野球ファンではあった。

 しかし、高校野球を「身内」の一人として見るようになって、野球というゲームの複雑さに改めて驚愕し、試合展開に与える監督采配の影響の大きさ、選手とベンチ、応援団との一体感、さらに野球以前に人間教育の重要性などなどに感動させられることが多くなった。

 高校球児、高校野球関係者にとっての「晴れの舞台」が春・夏の「甲子園」である。

 全国の参加校は現在約4000校といわれている。

 夏の甲子園は、例外的な北海道、東京の2校に各府県代表1校を加えた合計49校で争われる。

 都道府県大会の参加校数には最多189(愛知県)から最少25(鳥取県)まで大きな開き、つまり「一票の格差」(衆院選の場合2倍超の由)に似た代表の「1校の格差」(7.56倍)が生じてしまうが、それはさておき、各都道府県の予選を勝ち抜いた「代表」ということですっきりしている。

 しかし、私がすっきりしないのは、センバツ出場校の「選抜のされ方」である。

 センバツの出場校は各都道府県の高野連推薦校の中から秋季地区大会と地方大会の実績とを考え、最終的には「選考委員会」によって決められることになっている。ただし、選考会では高野連役員の意思が反映されるため、秋季地区大会で初戦敗退ながらも選ばれる学校もあるらしい。

 というのがちょっとクセモノである。

 現在は「21世紀枠」「神宮大会枠」とは別に、例えば東北地区2、関東地区5、東京1、東海地区2、近畿地区6、九州地区4のように「枠」が決められている。事実、今年のセンバツには「21世紀枠」の3校に、上記の「地区枠」の29校を加えた合計32の出場校が発表されている。

 各地区の「枠数/参加校数」、さらに、近年の「甲子園」での実績をかんがみて、私は東北6県の2/436と東海4県の2/439の「枠」がと思うし、四国4県の3/169(「中国+四国」で枠は5になっており、年によって2/169の場合もあるが、実質的に枠は3で、今年も3校出場)の「枠」は不自然に多いと思う。なぜこのような「不自然」が生じるのであろうか。

 まことしやかに語られるのは、主催者であるM新聞の購読者数分布と関係があるらしい。それが事実とすれば、私は言語道断だと思うが、「高校野球」とて主催者にとっては「商売」の一つであるならば、さもありなんということだろうか。

 私は熱烈な高校野球のファンの一人として、私の邪推が的はずれであることをひたすら願っている。