鵜の目鷹の目ココロの目 第30回

 一票の格差 志村史夫

 

 最近、国会では「衆院選挙制度改革」にからみ、議員定数削減が各党間の「論戦」の的になっているようである。この「議員定数削減」は、選挙区によって議員一人当たりの人口に大きな差、つまり「一票の格差」に端を発している。

 国会議員選挙のたびに、候補者がこぞって「お願いしま~す」と声を枯らして連呼する姿、時には土下座までする姿を見ることから察せられるように、国会議員になることにはよほど大きな「ご利益」があるのだろう。私自身は「一票の格差」以前に、「地元」への貢献しか興味がなさそうな、まるで村会議員か町会議員のような「国会」議員の数がいささか多過ぎると思っているのであるが、そのような「国会」議員の定数が削減されるというのだから、現職議員、次回選挙の候補者はもとより政党の多くが躍起になって反対する気持ちはよくわかる。

 かなり以前から指摘されている「一票の格差」は、日本の「民主主義」の観点から言えば、「違憲状態」にあるらしい。「違憲」に対しては、異常なほどに関心がありそうな日本の政党や議員が違憲状態の「一票の格差」の是正をいままで先延ばしにしてきたホンネの裏には与党であろうが野党であろうが誰もが認める「国会議員のご利益」があるのは紛れもない事実だと思う。

 しかし、もう20年以上前『新潮45』などに何度も書いたことであるが、私は議員一人当たりの「一票の格差」よりもはるかに重大な問題は選挙権を持つ人の「一票の格差」だと思っている。

選挙法の「改正」、今年6月以降の選挙では従来の「20歳以上の日本人」から「18歳以上の日本人」に選挙権が与えられることになっている。

 この有権者年齢の引き下げによって、「一票の格差」は一段と広がることになる。

 私が知る限り、「一票の格差」はマスコミでもまったく取り上げられていないから、私が言うことは少しわかり難いかもしれない。

 要するに、一年間に何億円も税金を払っている人の一票と、親のすねかじりのような高校生、大学生の一票がというのは理不尽も甚だしいのではないか、ということである(わざわざ明記する必要もないと思うが、本稿では「消費税」のような間接税の話は除く、念のために)。

 いままでの「20歳以上の有権者」の場合でも、有権者の中で非納税者が占める割合は45%ほどだったはずである。今回の「改正」によって、有権者の中で非納税者が占める割合は50%を超えるのは間違いないのではないだろうか。

 『憲法』に明記されているように、納税はの一つである。選挙権が一つの権利だとすれば、そして、権利と義務が一対のものだとすれば(私はそう信じている)、義務を果たしていない者に権利が与えられるのは理不尽ではないのか。

 国の「運営」に要する費用の主要財源は国民が納める国税であろう。

このことを考えれば、納税者は、税金を使う国民の代表たる国会議員を選ぶ権利だけではなく義務も持つ。多額納税者は、その分、権利も義務も大きいと言えるのではないか。私は、非納税者は義務もない替りに権利もないと思うのである。これからは、多分、50%を超える非納税者によって「国会」議員が選ばれることになるのである。

 ここまで書けば、見識ある方には、私が理不尽に思う「一票の格差」を理解してもらえるのではないだろうか。