鵜の目鷹の目ココロの目 第27回
「成人の日」 志村史夫
もう10年近く前の話であるが、正月、私が卒業生数人と一緒にデイズニーランドへ遊びに行った時のことである。
同じような年頃の晴れ着の青年男女がかたまりになってたくさんいるので、「さすが正月だなあ」と思ったら、様子がちょっと違う。「引率者」とおぼしき年輩の人がハンド・スピーカーを使って話している内容から、近隣の市の「成人の日」のイベントとしてデイズニーランドへ来ていることが判明した。私は、すぐに「えっ、今日は成人の日なの?」と連れの青年に聞いた。
私にとって「成人の日」といえば、毎年1月15日(今日である!)に決まっていたので、1月15日から1週間近くも早かったその日が「成人の日」だとはまったく思わなかったのである。
いずれにせよ、まず私は、ご時勢とはいえ、「成人の日」のイベントとしてデイズニーランドへ来る時代になったのか、と唖然とし慨嘆せざるを得なかった。ちなみに、前述の「近隣の市」とは浦安市のことであるが、ことしも(というより、いつも)「成人式」はデイズニーランドで行なわれている。
かつて元服の儀が小正月(1月15日)に行なわれていた日本古来の風習から定められた「成人の日」が、2000年に導入された「ハッピーマンデー制度」なるもののために、1月の第2月曜日に「改正」(明らかに改悪!)されたのである。しかし、ほとんどの市町村が実際に「成人式」を行なうのは「成人の日」の前日の日曜日である。つまり、「成人の日」は有名無実、文字通りの「ハッピーマンデー」に成り下がっている。「ハッピーマンデー」であれば、デイズニーランドへ行こうが、カラオケ大会に行こうが関係ない。私が唖然とし慨嘆する必要などまったくないし、文句をいう筋合いでもない。
近年、市町村が主催する「成人式」の会場で祝辞を述べる来賓に野次を飛ばしたり、爆竹を鳴らしたりする、まさしく成人(一人前の人間)にあるまじきことをする不逞の輩による「荒れる成人式」が話題になることが少なくない。今年も相変わらず、和歌山市や那覇市などの「成人式」で新「成人」が暴れたという新聞記事が出ていた。
彼らに対する教育がなっていないことはいうまでもないし、「20歳」という単なる生物学的な年齢が“成人(一人前の人間)”の証ではないので仕方がないのかもしれないが、歴史的に意味があり、新しい成人に「成人(一人前の人間)としての自覚」を促すべき「成人の日」を「ハッピーマンデー制度」なる「人気取り」のために、単なる「休日」の一つにしてしまった政治家の責任も決して小さくはない。もし、その責任を少しでも感じる政治家がいるならば、即刻、「成人の日」を元の「1月15日」に戻す努力をすべきだと思うのであるが、いかがであろうか。
昔から「賢者は歴史に学ぶ」といわれるが、最近は日本のいたるところに歴史を無視する愚者が多すぎるのではないか。