鵜の目鷹の目ココロの目 第25回

 「いまはむかし」の大相撲 志村史夫

 

 大相撲の1年の最後を締めくくる九州場所もやはりモンゴル出身の横綱・日馬富士の優勝で終わった。

日本人力士が優勝したのはいつのことだったろう。

 すぐに思い出せる人はいないのではないだろうか。

 もちろん、私は思い出せない。

 そこで、私は、こころみに、2000年初場所(1月場所)以降の優勝者を調べてみた。

 先日の九州場所まで95場所あったが、その優勝者のうち日本人力士はのべ15人、外国人力士(日本に帰化した外国出身の力士を含む)がのべ80人である。この「外国人力士」の圧倒的多数はモンゴル出身力士である。2006年初場所で優勝した大関・栃東を最後に、以降現在までの58場所、日本人力士の優勝はない。この間、モンゴル出身力士の優勝は56回である。

 日本の大相撲は「国技」と呼ばれ、単なる“スポーツ”ではなく、日本の伝統文化の一つ。だから、力士は、あのように髷を結い、審判である行司はあのような古式ゆかしい装束に身を包み、立行司は懐剣を身につけているのだ。昔、女性が土俵に上がれないことを「差別だ!」と騒いだ人がいたが、別に女性を差別しているわけではなく、それが伝統文化だからである。

 いまや、外見上は同じ「大相撲」に見えるが、中身はほとんど“プロ格闘スポーツ“と化したようである。だから、横綱といえども“勝つ”ためには立ち合いで横に飛ぶこともあるし、“猫だまし”のような“だまし技”を使うことも許される。場所中に急死した北の湖理事長は「横綱としてやるべきじゃあない」と苦言を呈したが、当の横綱たちに悪びれる様子はなかった。かつて、最高位の横綱は単に強ければいいというものではなかった。最高の心技体が求められたのである。「昭和の角聖」と呼ばれる名横綱・双葉山は、相手より遅れて立ちながら有利な体勢をつくる「後の先」を極めたが「いまはむかし」である。

 日本の伝統文化などという小難しいことをいわずに、“プロ格闘スポーツ“の一種と割り切ってしまえば、相撲部屋にとっても相撲協会にとっても、外国人力士は「経済効率」がよいようだ。いっそのこと柔道が“JUDO“になったように、相撲も“SUMO”あるいは“S-1“に変えたほうがすっきりする。しかし、相撲界がドーピングや賭けや八百長のような”グローバルな汚染”に巻き込まれることを覚悟しておいた方がよい。

 ここで、外国人力士の強さ、同時に、日本人力士の弱さについて、30数年来の友人である元・横綱の輪島さんに聞いたとても重要な話を紹介しておきたい。輪島さんは、先述の北の湖さんと共に「輪湖時代」を築いた名横綱の一人である。

 文化、習慣がまったく異なる日本という異国、しかも、相撲界という日本人にとってもはなはだ特異な世界に飛び込んでくる外国人力士の苦労、努力は並大抵のものではなく、彼らが精神的にも肉体的にも、昨今の軟弱な日本人力士にはとてもかなわないほど強くなるのは当然のことらしい。

 私は「なるほど」と思った。

 日本の「国技」大相撲も最高の「心技体」を持つ横綱も「いまはむかし」である。