鵜の目鷹の目ココロの目 第22回

 植物は偉い! 志村史夫

 

 私は、日々、天気のよい時は茶畑が拡がる丘陵や雑木林の中を散歩する。10月も半ばを過ぎ、若干肌寒く感じることもあるが、空気が澄んでいてとても気持がよい季節である。空にひろがるうろこ雲にも風情がある。

 一年を通して周囲の畑のさまざまな野菜や広葉樹、常緑樹を眺めていると、植物たちが毎年四季折々、自然の中で“あるべき姿”を繰り返していることに感動する。また、私の部屋の中には、鉢植えの観葉植物がいくつかあるのだが、彼らに対して私がやっていることといえば、時折、水をあげるくらいである。それでも、彼らは粛々と葉を茂らせ、私の目を癒してくれる。目には見えないが、彼らは二酸化炭素を吸収し、酸素を吐き出してくれてもいる。

 私は、このような植物を見るたびに「植物は偉いなあ」と感心するのである。

 地球上の生物は、およそ四十億年前の原始生命の誕生以来今日まで多種多様に分岐、シンカしてきたのであるが、この多種多様な生物は、系統的に見ると、大きく植物類、動物類、そして微生物類(菌類)に分類される。

 ヘンな話ではあるのだが、私は小さい頃から何となく、植物、動物、微生物の中では、動物が一番「偉い」という気がしていた。そして、学校でも、人類が最もシンカした一番「偉い」生きものである、と教わったような気がする。人類がなぜ一番「偉く」なったのかといえば、人類が最も脳を持っていたからであり、そして、その結果、智能を発達させたからだ、と教わった。

 一般的に、智能は獲物を追ったり、配偶者を求めて動きまわる動物だけに発達した特性であり、自ら移動できない植物には智能が発達しなかったといわれている。このようにいわれれば、智能を持たない植物や微生物より、智能を持った動物の方が偉そうに思えるのも仕方がないだろう。

 しかし、本当に、植物には智能が「発達しなかった」のだろうか。

 植物は自分が生きていくために必要な“栄養”を自分で生産している“独立栄養生物”であり、「他者」の「世話」にならずに生きていけるのである。ところが、われわれ人類を含む動物は、自分が生きていくために必要な食物を自分自身で生産することができず、植物や他の動物に依存しなければならない“従属栄養生物”である。このような動物は、必然的に、食物を見つけるために動きまわらなければならず、絶えず、外界、他の動物との衝突や摩擦が避けられない。つまり、“従属栄養生物”である動物には、常に意識的行動が必要であり、生存のためには、感覚、知覚、反応のための神経系と認識、判断、選択のための脳を のである“独立栄養生物”である植物は、「移動できない」のではなく、生きていくために、動物のように のである。したがって、動物のように衝突や摩擦を避けるための智能のようなものを発達させる必要などないのである。

 もちろん、植物が持っている極めて高度の能力や智慧のことを考えれば、植物が「智能」を持っていないとは考えられない。植物は、動物の智能のような「処世術」的智能を持っていないのであって(持つ必要がないから)、植物は自ら潔く、孤高の生活を送るための智能を持っているのである。

 もし、人類が最も智能が発達した生物なのであれば、それは、人類が である。つまり、この地球上で、人類が最も従属性が高く、最も「処世術」的智脳を持たなければならない生きものであるということであろう。

 このように考えれば、私は、人類はもとより、動物が植物より「偉い」なんて、甚だしい誤解、甚だしい認識不足だった、と恥じ入らねばならない。そして、どのような風雪にも耐え、孤高の姿で凛として立つ木々、毎年四季折々、自然の中で“あるべき姿”を粛々と繰り返している植物を思えば、私はいまさらながらに、植物に対する畏敬の念を強くするのである。

 ところで、いつ頃からだったか、「植物人間」という言葉がしばしば使われている。

 国語辞典によれば、「植物人間」とは「植物状態に陥ったまま生存している患者」(『広辞苑』岩波書店)とある。私がいま述べてきたことから類推すれば「植物状態に陥った」というのは、「かなり高度な状態」であることを思い浮かべるのであるが、それに続く「まま生存している 」という文句がいささか気になる。

 そこで、もう一冊の国語辞典で調べてみると、なんと、「(呼吸・循環器系機能は保たれているが)大脳の傷害により、意識や運動能力を失ってしまった寝たきりになった人」(『新明解国語辞典』)と説明されているではないか。このような状態の人に「植物」を使うのは、極めて不適当であり、植物に対する不見識を暴露するものである。また、植物に対して極めて失礼なことでもある。「植物人間」と呼ばれるような人であれば、最低限、凛として立っていてもらわなければ困る。

 私の植物、特に木に捧げる讃歌が最近上梓した『木を食べる』(牧野出版)であった。

 私事ながら、「木を食べる」を一緒に進めてきた掛替えのない同志だった天竜の林業家・榊原正三さんがあっという間にあの世へいってしまった。「木を食べる」話が少なからぬテレビや新聞などのマスコミに取り上げられ、まさに「これから」という時であった。彼こそこよなく木を愛し続け、それを林業の中で実践した人だった。そのような同志を突然失ってしまった私の衝撃はとても筆舌に尽くせない。合掌