鵜の目鷹の目ココロの目 第21回

 「神無月」に想う 志村史夫

 

 神無月(かんなづき、かみなしつき)は陰暦10月の異称である。

 この「神無月」という言葉は、多分、中学校の時に初めて習ったのだと思うが、私は長らく「水無月(みなづき、みずなしつき)」と共に、これらの「無」が気になっていた。

 古く6月は「水月」と呼ばれていたわけであるが、一般に、6月は日本の梅雨の時期で「水無」といわれてもピンとこない。もちろん、「水無月」は「水が無い月」ではなくて「田に水を入れる月、水の月」の意味であり、「水無月」の「無」は連体助詞「の」の母音交替形「な」の当て字である。

 一方の「神無月」も語源として一般に知られているのは、「10月には全国の神が一年のことを話し合うために出雲大社に集まるので、出雲以外には神がいなくなる、つまり“神無し月”」であろうと思う。だから、出雲に限っては10月を「神無月」ではなく「神有月」と呼ぶ。私も、そのように教わった。しかし、私は「随分ローカルな話が日本全土にまたがる10月の呼び名になったものだなあ。それだけ、出雲大社というのはすごいのだなあ。」と思っていた。

 この「語源」説が、どうも怪しいのではないか、ということを知ったのは、中学校を卒業してからかなり長い時間が経ってからのことである。

 伝統的に農耕稲作文化の日本としては、「醸成月(かみなしづき:新穀で酒を醸す月)」、「神嘗月(かんなめづき:新穀を神に奉る月)」あるいは「雷無月(かみなしづき:雷が無い月)」を陰暦10月の異称とする方が理にかなっていると思われる。どうも、「神無月」は中世以降、出雲大社の祈祷師が全国に広めた説らしい。

 思えば、いささか季節外れの話になるが、「土用の鰻」も江戸時代の平賀源内が、夏の暑い日の売り上げ減少に悩む友人の鰻屋のために考えたものだ。博学の源内は、大伴家持の「夏痩せに良しといふ物ぞ鰻取り食(め)せ」という歌を知っていたのであろう。また、「誕生石」なるものも、1910年代の経済恐慌の時、宝石がさっぱり売れなくなってしまったことを苦慮したアメリカの宝石商が考え出した妙案である。さらに、「バレンタイン・デーに女性から男性にチョコレートを贈る」という「慣習」も55年ほど前に日本のチョコレート屋が考え出した妙案である。「聖バレンタインの日」にはいささかそぐわない奇妙きてれつな「慣習」があるのは日本だけだ。

 たとえ「源」が「売らんかな」の商売根性であっても、このような鰻や誕生石やチョコレートも、時を経れば、いずれは「歴史的、文化的伝統・慣習」になるのであろう。そして、もっともらしい「語源」が語られるのであろう。