鵜の目鷹の目ココロの目 第1回 志村史夫

 

 世の中に不可解なことが多々あるのはいまに始まったことではないが、それにしても、今年のノーベル物理学賞受賞者は信じ難い顔ぶれである。例えば、しばしば繰り返される日本の大臣の顔ぶれのようなものであれば、「別に、いまさら」で済まされるが、その「信じられない顔ぶれ」を選んだのは、学問の世界で自他共に最高権威を誇るノーベル賞委員会であることが不可解極まりない。もちろん、いままでにも「平和賞」や「文学賞」においてはいうまでもなく、小生がある程度の知識を持つ「物理学賞」においてさえ「なんで?」が何度もあったのであるが、今年のノーベル物理学賞選考は権威あるノーベル物理学賞史の大きな汚点として後世に語り継がれるに違いない。

 まさに革命的な光源であるLED(発光ダイオード)にノーベル物理学賞が与えられるのは当然すぎるほど当然である。ちょうど十二年前、小生は「青色の登場で発光ダイオード新世紀」と題する解説(『青春と読書』二〇〇二年十月号)を書いていたが、LEDに対するノーベル賞授賞は少なくとも十年は遅い。

 革命的な光源である赤色LEDが登場したのは一九六二年のことであり、発明者はゼネラル・エレクトリックのニック・ホロニアック(現イリノイ大学名誉教授)である。続いて一九六〇年代後半、実用レベルの赤色、緑色LEDが西澤潤一(現東北大学名誉教授)によって開発された。

 LEDによって白を含むすべての色を実現するためには「光の三原色」である赤、緑、青が揃わなければならないが、青色LEDがなかなか実現できなかった。そのための半導体結晶を作ることが難しかったからである。その道を開いたのが、一九八〇年代後半の赤崎勇(現名古屋大学名誉教授)である。この結果が「青色の登場で発光ダイオード新世紀」だった。

 同一テーマでのノーベル賞は三人を限度とされているから、LEDに対するノーベル賞受賞者は、まず第一に発明者のホロニアック、そして光の三原色を実現した西澤、赤崎の三氏に与えられるべきであるし、それが道理というものであろう。いずれにせよ、LED発明者のホロニアックがノーベル賞から外れることはあり得ないのである。ところが、今年のノーベル物理学賞の対象は青色LEDのみであり、赤崎勇、天野浩、中村修二の三氏に与えられたのであった。まったく信じ難いことである。もちろん、ノーベル賞委員会がホロニアック、西澤の業績を知らぬはずはない。だから小生には不可解極まりないのである。

 もちろん、困難であった青色LED実現に果たした天野、中村氏の技術的貢献を過小評価すべきではない。しかし、天野、中村氏にはノーベル賞ではなく、与えられるべき国際的な賞がいくらでもあるのだ。

 じつは、小生、在米中、ホロニアック教授には学会などで何度か会っている。ホロニアックはトランジスターの発明でノーベル物理学賞を受賞したバーディーンの弟子で、蝶ネクタイがよく似合う温厚な紳士であるが、今回の「青色LEDノーベル賞」をどのように思っているだろうか。

 また、小生は西澤潤一先生とは三十七年前、MITで行なわれた結晶成長国際会議で初めてお会いして以来今日まで、親しくお付き合いさせていただいているのであるが、何度も「ノーベル賞秘話・悲話」を直接聞かされている。西澤先生は何度も「煮え湯を飲まされている」のであるが、今回のLEDノーベル賞ほどの「煮え湯」はないに違いない。

 小生、赤崎先生との個人的なお付き合いはないが、何度かお会いしたことがある。赤崎先生は小生の師匠筋の名古屋大学の上田良二先生、加藤範夫先生が学問的、人物的に非常に高く評価していた完璧ともいえる誠実、温厚な研究者である。赤崎先生御自身、今回の「ノーベル物理学賞受賞者」についてどのように考えておられるのだろうか。


【解説】

青色の登場で発光ダイオード新世紀

(「青春と読書」2002年10月号所収)


「光の三原色」と発光ダイオード


 いま読者が手にしている本誌の中には、白黒あるいはカラーのさまざまな写真が載っています。

 もし虫眼鏡が手元にあれば、まず、白黒写真を拡大して見てください。中間色(灰色)を含む見事な「写真」が、小さな黒点で形成されていることがわかるでしょう。黒っぽさ、白っぽさは黒点の密度の高低で表現されているのです。真っ白い箇所は黒点がない場所です。印刷されたカラー写真の場合はちょっとわかりにくいかもしれないのですが、「絵画・インクの三原色」と呼ばれる青緑(シアン)、赤紫(マゼンタ)、黄の小さな点の組み合わせで作られるのです。三原色を重ねれば黒になりますが、一般的な印刷には三原色と黒色のインクが用いられます。白はインクがないところです。

 最近は、カラーテレビのほかに、パソコンや携帯電話の液晶ディスプレー、また野球やサッカーのスタジアムなどに設置されている大画面表示装置など、光を使ったディスプレー(光ディスプレー)が身近なものになっています。これらの中で、カラー・ディスプレーの基本原理はカラー印刷の場合と同じです。「光の三原色」と呼ばれる赤、緑、青色の小さな画素と黒色の緑の組み合わせですべての色が作られるのです(光の三原色を混ぜれば白になります)。

 光ディスプレーの王様は長らくブラウン管(CRT)でしたが、近年、液晶ディスプレーに代表されるさまざまな「フラット・ディスプレー」が実用化されています。中でもとりわけ注目を浴びているのが発光ダイオードを使うディスプレーです。

 発光ダイオードは電圧を加えると発光する半導体素子で、一九六〇年頃から存在していました。半導体素子としてはむしろ古いものです。従来の「光源」と比べ、発光ダイオードの数々の利点への期待は高かったのですが、輝度、消費電力、量産性などの点で実用化が阻まれてきました。「光の三原色」のうちの赤、緑色発光ダイオードは一九七〇年代に実用に耐え得る製品ができていたのですが、残る青色発光ダイオードが難関でした。三原色がそろわないことにはフル・カラーのディスプレーが実現しません。


世界をリードする日本の技術


 発光ダイオードの原理は簡単で、色や輝度など、光源として重要な特性は、ひとえに基盤となる半導体材料の特性に依存し、それが実用化されるためには量産できなければなりません。長年にわたる世界的規模の研究にもかかわらず、なかなか実用に耐える青色発光ダイオードが得られなかったのは、十分な輝度を持つ青色の発光をする半導体結晶が作れなかったからです。日本の日亜化学によって画期的な性能を持つ青色発光ダイオードの開発が進められたのは、ほんの十年ほど前のことです。これでやっと、念願の実用的な「光の三原色」の発光ダイオードがそろったわけです。

 現在の発光ダイオードの明るさは白熱電球のレベルに達し、消費電力、信頼性、量産コスト、メンテナンス・フリーなどの点で、従来の白熱電球とは比べものにならないほどの利点を持っています。これから、従来の白熱電球の分野、例えば、交通・鉄道信号機や指示灯はもとより、カラー原稿の読み取り機、フル・カラーの大型ディスプレー、簡易光通信など広範な分野に、急激な勢いで応用されていくであろうことは明らかです。少々大袈裟にいえば、極めて特殊な場所を除いて、すべての照明用光源が発光ダイオードでまかなわれることもあり得ます。発光ダイオードは、それほど画期的な光源なのです。


二十一世紀の光


 また、光の「波」に情報を乗せて伝送する光通信や情報を書き込んだり読み出したりするデジタル・ビデオ・ディスク(DVD)が実用化されてからすでに久しいのですが、ここで大活躍しているのが半導体レーザーです。波の形を思い浮かべていただければ理解しやすいと思いますが、波長が短いほど処理できる情報密度が高くなります。したがって、短波長レーザーへの期待が大きいのですが、いままで実用に耐え得る短波長レーザーは実現していませんでした。波長は、色でいえば、赤い色ほど長く、青い色ほど短いわけですが、青色発光ダイオードの実用化は短波長レーザーの実現に大きく近づくものでもあるのです。

 このような半導体レーザー、発光ダイオードの研究・開発、そして工業化においては、古くから西澤潤一、林厳雄、赤崎勇、中村修二ら日本人研究者、そして日本の企業の貢献が甚大であり、いまも世界をリードしています。発光ダイオードはまさに「二十一世紀の光」であると同時に、「光」が二十一世紀の日本を支える基幹産業になるであろうことが確信されているのです。