鵜の目鷹の目ココロの目 第19回

 天災は忘れた頃に? 志村史夫

 

 9月1日は「防災の日」で、この日を含む1週間を「防災週間」としている。毎年、この時期になると必ず登場する警句(格言?)が「天災は忘れた頃来る」である。

 周知のように、「防災の日」は1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんだものである。私は、6歳の時、関東大震災を直接体験した母からその凄まじさを何度も聞かされた。また、9月1日頃は、例年、台風の襲来が多いとされる「二百十日」にあたる。この「防災の日」が制定されたのは1960年(昭和35年)だが、その前年の9月下旬には史上まれにみる伊勢湾台風が甚大な被害をもたらした。当時、東京に住み、小学6年生だった私の目には、いまの「高島平」が水浸しになった光景がはっきりと焼きついている。

 だいたい、天災というものは突然やって来て、その時は誰でも慌てふためき、恐れもするのであるが、時が経てば次第に忘れてしまうものである。そのような人間に「天災を忘れるなよ、いつも用心を怠るなよ」という注意を促すのが、「天災は忘れた頃来る」という警句である。だから、たとえ一年に一度の「防災の日」だけにせよ、この警句を思い出し、防災意識を高揚させることには大きな意義がある。

 ところで、この「天災は忘れた頃来る」は夏目漱石の愛弟子で、優れた物理学者、文学者であった寺田寅彦の言葉とされている。高知市内の寅彦旧居跡は現在「寺田寅彦記念館」になっており、この言葉が刻まれた石碑が門前に建っている。しかし、意外にも、寅彦はこの言葉を活字として遺しているわけではない(拙著『漱石と寅彦』牧野出版)。

 じつは、私は傍系ながら、物理学者・寺田寅彦先生の玄孫弟子にあたる者なのであるが、8年ほど前、御存命だった寅彦先生令嬢の関弥生さんから、田園調布の御自宅で直接伺った話では、大地震や津浪が発生した時、寅彦が子どもたちや周囲の弟子たちに言っていた言葉を弟子の中の中谷宇吉郎あたりがどこかに書いたのではないか、とのことだった。また、地球物理学者・寺田寅彦は1923年9月1日に起きた関東大震災の前に、大地震が来ることを予感し、「わが家の造りはしっかりしているから、地震が来ても外に飛び出してはいけない。落ちて来る瓦が頭に当るから」などと子どもたちに言っていたそうである。

 寅彦は地震や津浪や大火に関する随筆をいくつか書いているが、それらの共通する主張は「文明が進歩し、防災の技術的手段が完備したとしても、それに甘えるな」ということである。寅彦がある随筆に書いていた「われわれが存在の光栄を有する二十世紀の前半は、ことによると、あらゆる時代のうちで人間が一番思い上がって、われわれの主人であり父母であるところの天然というものを馬鹿にしているつもりで、本当は最も多く天然に馬鹿にされている時代かもしれないと思われる。天然の玄関をちらりと覗いただけで、もうことごとく天然を征服した気持ちになっているようである、科学者は落ち着いて自然を見もしないで長たらしい数式を並べ‥‥」はまさしく、われわれ「現代文明人」への警句に思える。

 最近の日本各地の火山活動の活発化を見れば、「天災は忘れた頃来る」どころか「天災はいつでもやって来る」ことをゆめゆめ忘れてはいけないのである。

 余談ながら、内閣府の統計によれば、昭和47年〜平成25年の42年間で18歳以下の子どもが自殺した日は1年365日の中で9月1日が突出している。長期休暇明けに自殺が多いという分析である。このことも9月1日の「防災の日」の要素の一つに加えた方がよさそうだ。