鵜の目鷹の目ココロの目 第17回

 熱い「甲子園の夏」 志村史夫

 

 今年も「甲子園の夏」が始まった。

 1915年に大阪府豊中市で「第1回全国中等学校優勝野球大会」(現在の「全国高校野球選手権大会」)が開催されてから満100周年の今年は、開会式の前から特別の盛り上がりだった。

 球ではなかったが、私もはるか昔、中学、高校時代は「球児」として厳しい運動部生活を送り、全国大会を目指していたので、高校生のスポーツには昔を思い出しついつい夢中になる。

 高校野球のファンに過ぎなかった私が熱狂的な高校野球ファンになったきっかけは、一昨年、福島・聖光学院の斎藤智也監督を彼の親しい友人から紹介されたことだった。聖光学院はその時まで7年連続「夏の甲子園大会」出場を果たしていた高校野球の名門校である。私が聖光学院、結果的に斎藤智也監督に興味を持ったのは「ミーティングの時間が異常に長い」と聞かされたからである。「甲子園」に出場するほどのチームの練習時間が長いのはあたりまえであるが、「ミーティングの時間が異常に長い」というのである。時間は限られているので、ミーティングの時間が長くなれば、野球の練習時間は、その分短くならざるを得ない。そのミーティングの中で、斎藤監督は野球部員に何を話すのか。要するに、斎藤監督は「野球の監督以前に教師である」ことに徹し、卒業して社会人になった時、どのような仕事に就いても活かせる人間力、精神力を育てているのである。聖光学院はスカウトをしない。斎藤監督の下で野球をしたくて球児が集まって来るのであるが、部員は毎年総勢150名ほどになる。このことは、斎藤監督のみならず部長、コーチ陣、幾多のサポーターらの長年にわたる尽力の賜でもあろう。「甲子園」のベンチに入れるのは18人である。圧倒的多数の部員は3年間の野球部生活で人間力を育まれ、「聖光」のユニフォームを着られたことを誇りに卒業していくのである。 

 私は斎藤監督と泊まり込みも含み何回か食を共にしているのであるが、私はそのたびに、彼の宇宙論やアインシュタインなどにまで拡がる知的好奇心の旺盛さに感心させられ、驚かされ、また、斎藤監督の人間的魅力に心酔し、すっかり「斎藤ファン」になっている。

 昨年、聖光学院は8年連続「甲子園」出場を果たし、私は3度、甲子園に足を運んだ。

 私は今年のチームを昨年の秋から見ており、講話に出かけたことなどもあり、特別の愛着を感じていたので、今夏、県大会の4回戦、準決勝、決勝の3試合の応援に福島まで出かけた。聖光学院は連続出場として新記録となる「9年連続出場」を果たした。試合終了までは大勢の観客の熱気に包まれていた球場が閑散とする頃に行なわれた斎藤監督やコーチの胴揚げを目の前で眺めながら、斎藤監督、部長、コーチ陣、そして、野球部員たち自身の偉業に心からの敬意を表し、掌が痛くなるほどの拍手を送った。

 毎年メンバ−が変わる高校や大学のチームの連覇は大変なことである。

 例えば、高校野球の場合、ずば抜けた投手がいる場合、連覇は成し遂げやすいかもしれないが、それでも、いうまでもないことだが、団体競技である野球は、ずば抜けた投手一人で勝ち続けられるほど生易しくないのである。トーナメント戦では1度負けたら終わりである。

 高校野球を見ていて、いつも思うことは、監督の采配や叱咤激励が試合の勝敗を左右することが少なくないことである。私は素人ながら、「甲子園」クラスのチームの技術的な差はそれほど大きくはなく、勝敗に大きく左右するのは技術力よりも精神力、そして、監督の意志がいかに選手に伝わり、選手がそれをどれだけ実践できるかではないかと思う。「甲子園」の出場校の中には聖光学院を筆頭に連続出場の高校や同じ監督の下で何度も出場している高校があるが、やはり、そのような高校には「名監督」と呼ばれる指導者の存在と、そのような指導者の下での日々の研鑽が欠かせないのであろう。さらに、「伝統」というものが大きな支えになるに違いない。 

 ところで、野球のほかにサッカー、ラグビー、バレーボール、バスケットボールなどなどさまざまな団体競技があるが、ふと考えてみると、選手と監督が同じユニフォームを着ているのは野球だけである。このことを知ると、野球、特に高校野球が、まさに監督と選手が一体となって闘う競技であることにあらためて納得できるのである。

 今年も「甲子園」は多くのチームが多くの感動を与えてくれるだろう。

 これから「甲子園の夏」が終るまで、私は落ち着かない毎日を送ることになりそうである。