鵜の目鷹の目ココロの目 第16回

 花火の季節 志村史夫

 

  全国的に梅雨はまだ明けきれていないようだが、今年も、夏の花火の季節がやってきた。これから、日本全国各地で花火大会が開かれる。

 私事ながら、私は小さい頃から花火が大好きで、いつもこの季節になると胸がわくわくする。

 東京の下町生まれの私の「花火」の思い出の原点は、やはり、隅田川の花火大会である。隅田川の花火の歴史は古く、江戸時代、8代将軍・徳川吉宗が大川端(現在の隅田川河畔)で催した「川施餓鬼」(死者の霊を弔う法事)に遡るらしい。当時、江戸では大飢饉とコレラによって多くの死者が出たのである。

 夜空に咲く色とりどりの花火の大輪は、まさに日本の夏の風物詩である。

 花火の会場へ行って、真下で見上げて味わう花火の音と光の迫力、そして火薬の匂いは格別である。また、遠くで光り、遅れて届く音の味わいも独特の風情がある。私は昔、飛行機の中から花火を時、「なるほど、花火はどこから見ても丸いんだなあ」と当り前のことに妙に感心したことがある。

 花火の美しさは、何といっても暗い夜空に輝く色とりどりの光とそれが瞬時に消える儚(はかな)さにあるが、じつは花火が現在のように“色とりどり”の美しさになるのは、「洋火」と呼ばれる火薬が日本に入ってきた明治時代以降である。「洋火」の中にはさまざまな色を出す化学薬品(彩色光剤)が含まれている。

 それまでの花火には「和火」と呼ばれる硝石と硫黄と木炭の粉を混ぜた黒色火薬が使われ、したがって、江戸時代までの花火は赤橙の単色だった。当然のことながら、浮世絵などに描かれている「両国川開き」の花火も赤橙の単色である。

 時折、テレビや映画の私が好きな時代劇(例えば「鬼平犯科帳」)で彩色豊かな花火を見かけることがあるが、あれは明らかに時代考証がおかしいのである。現代の花火の映像を「借用」した結果である。いまとなっては、時代劇にふさわしい昔ながらの赤橙の単色の花火をわざわざ打ち上げるのは大変なのであろう。

 また、光は瞬時に伝わるのに対し、音が伝わる速さは毎秒およそ340mほどである。このことを知っていると、遠くで打ち上げられた花火までのおよその距離がわかる。花火が光ってから、その音が聞こえるまでの秒数を計り、それに340mを掛ければ、花火会場までのおよその距離が得られる。また、花火会場へ行って花火を見上げる場合でも、同様の計算で、花火が破裂している上空の高さを知ることができる。

 何も花火に限ったことではないが、何事も、ちょっとでも、その歴史や科学を知ると、その事に対する興味や楽しみが倍増するものである。そうすると、また、いろいろな物事の歴史や科学を知ることが楽しくなるものである。何でも楽しいことはいいことだ。