鵜の目鷹の目ココロの目 第11回

 愚挙に思う「新渡戸記念館」の閉館 志村史夫

 

 今年も新緑の美しい季節がやってきた。

 私が暮らす地域は「茶所」で、周囲一面、新茶葉の淡い緑色が美しく、心身共に清々しく癒される。

 こんな折、「十和田市立新渡戸記念館、6月末をもって閉館、廃館」という衝撃的なニュースが突然飛び込んできた。

 文化と文明がいかなるものか、まともに議論すれば厄介であるが(拙著『人間と科学・技術』牧野出版)、一言でいえば、文明は物質的豊かさと便利さを、文化は精神的豊かさを求め、満足させるものではないかと思う。

 私に“文化”を最も身近に感じさせ、楽しませてくれるのは美術館、博物館、歴史的人物の記念館である。

 いま、財団法人や地方自治体が運営する個人名が冠せられた記念館や美術館の多くは、財政、行政的圧迫のために存続の危機に立たされているという。つまり、「経営効率」「財源確保」のために「儲け」の追究が求められ、“文化の継承”という本分を遂行するのが困難になっているというのである。

 極言すれば、“文化”、藝術は一種の知的「道楽」だと思う。本来、「道楽」は「金を使うもの」であっても、決して「金を稼いでくれるもの」ではないのである。例えば、何かの藝術的作品や“文化”がブームになって、それが大きな経済効果を生むようなことはあるだろう。しかし、大きな経済効果を生むのは“文化”や藝術の本質ではない。

 私はいま“文化”一般に対して「道楽」という言葉を使ったのであるが、じつは、数ある記念館の中で「新渡戸記念館」は「道楽」で済まされるようなものではないし、「十和田市立」とはいえ、その内容は「十和田市ローカル」なものでもない。

 2014年、十和田市の三本木原・稲生川が、世界96カ国が加盟する「国際かんがい排水委員会」の「かんがい施設遺産」に認定された。三本木原・稲生川開拓は新渡戸傳、十次郎、七郎の三代にわたる不屈の開拓精神、苦闘の歴史が具現化したものである。昨年(2014年)10月25日、土木学会の「選奨土木遺産認定記念シンポジウム−未来に伝える三本木原開拓」が十和田市で開かれ、そこで私は「三本木原開拓と武士道」と題する講演をした。

 この「武士道」はいうまでもなく、新渡戸稲造の『武士道』をベースにしたものである。ちなみに稲造は七郎の弟である。『武士道』が世界に与えた影響の大きさは、それが世界数十カ国語に翻訳されていることからも明らかである。残念ながら『葉隠』の影響もあって、「武士道」は必ずしも正しく理解されていないのであるが、要するに「武士道」が説くのは「人間としての品性(名誉と誇り)」、「金銭的・物質的幸福感からの脱却」、「物欲を超越した簡素な生活」そして「真の知的生き方の素晴らしさ」である(拙著『いま「武士道」を読む』丸善ライブラリー)。

 2020年の東京オリンピックに向け、これから否応なしに、世界から「日本」が注目されることになるだろうが、私は「武士道」こそが日本人の誇りであり、世界に喧伝すべき思想であると信じ、先の講演を「この十和田市から“武士道精神”を世界に声を大にして発信していただきたい」と締めくくった。その時、十和田市長も私の講演を聴いていたはずである。

 新渡戸記念館は十和田市が日本に誇れる歴史文化遺産であるばかりでなく、日本が世界に誇れる歴史文化遺産である。

 十和田市はなにゆえに、このような世界的歴史文化遺産を廃棄しようとするのか。私には、十和田市ばかりでなく日本の将来に禍根を残す愚挙にしか思えない。

 ところで、十和田市民は、日本人が「世界遺産」を認定するユネスコは新渡戸稲造が産みの親であることを御存知だろうか。

 物質的、経済的繁栄に目が眩み、文化を疎かにするような国や地域では、人間としての本来の豊かさを味わいにくいだろうし、そのような国や地域の未来は明るくないだろう。

 もし、ほんとうに、新渡戸記念館の存続を国、十和田市に期待できないとすれば、有徳の士を日本国中から募り、この世界的遺産を、どのような形であれ、守らなければならない。さもなければ、日本人として恥ずかしいではないか。