小泉すみれの最新ドラマ時評  小泉すみれ

 

第五回 『ウォーキング・デッド』


 ドラマ時評の五回目は、現在継続中の作品のなかでわたしが最も愛している『ウォーキング・デッド』について。先頃、第五シーズン前半の放送が終わったばかりのアメリカの人気ドラマである。

 ジャンル的には<ゾンビもの>、もしくは<ポストアポカリプスもの>と呼ばれるこのドラマは2010年の秋に始まった。主人公(リック・グライムズ)はジョージア州の保安官代理。銃撃され、運ばれた先の病院で昏睡状態から目を覚ますと、世界はゾンビだらけになっている。

 彼はゾンビと闘いながら行方不明の妻子を捜し出し、少人数のグループを組んで安住できそうな場所を求めていく。が、ゾンビ以上に脅威だったのは小さな誤解やすれ違い、さまざまな欲望をめぐる人間どうしの諍いなのだった。

 実は、わたしが夫を亡くしてひどく苦しんでいた時期、このドラマの存在に大変救われた。ただただお話の続きに夢中になっているのだと当時は思っていたのだが、いま冷静に考えてみると、この作品に描かれている「あらゆる喪失感」の空気に癒されていたのだと気づく。

 愛する人を亡くした喪失感はもちろんのこと、愛する人が行方不明になった喪失感。さらに、愛する人がゾンビになり自分のことを忘れてしまったらしい喪失感。そして極めつけは、ゾンビと化した愛する人をやむを得ず亡き者にしてしまった喪失感である。

 登場人物たちはそういった<喪失感>に毎日苛まれながらも、生き抜くため、<どこか>に向かって進んで行かなければならない。<悲嘆>にとらわれて立ち止まっていてはグループ全体の生死に関わるのだ。

 なかでも、グループのリーダーとなった主人公の、<喪失>をめぐる受難っぷりが凄まじい。彼は旅の途中で愛する妻を亡くすのであるが、死後にゾンビ化しないよう、その頭を撃ち抜いたのは実の息子だった。

 喪失感と後ろめたさで主人公の精神状態はぐちゃぐちゃに乱れ、ある日、妻の幻影と話をするまでになる。

 言ってみれば、この連載の三回目で取り上げた<後ろメタファー>が対話の相手なのであるが、キリスト教信者である彼は、死者と会話をしたことに疑いと自己嫌悪を抱き、さらに追いつめられていくのである。

 ドラマのなかの世界では、主人公がゾンビに追いたてられるようになってから、もう数年が経過している。当然、出てくるゾンビたちの皮膚や着衣の具合も、かなりのリアリティをもって<経年劣化>している。

 その劣化っぷりを見るにつけ、視聴者としての自分も、「いつの間にか生き延びちゃったな」などとしみじみ思うのである。



☆Data

ウォーキング・デッド(原題:The Walking Dead)

http://www.amctv.com/shows/the-walking-dead

2010年全米ケーブルテレビ史上最高視聴者数を獲得した連続ドラマ。現在はシーズン5前半の放送が終わり、来年2月からの後半が待たれる。原作者であるカークマン氏のインタビューによると、このお話は<9・11>の後に思いついたそう。『「世界の終わり」を生き延びて、その「終わり」の後にやって来る事態の中で生きていくのがどんなにヒドイことになるのか』と考えていたところに、ゾンビ映画をたまたま大量に観直している時期がシンクロしたのだとか。(日本版コミック公式HPより)


☆ひとくちメモ

コミック原作について

わたしはこの作品の原作コミックのファンでもある。原作とコミックとではキャラクター設定の違いがあり、また、ドラマオリジナルとなる人物もいる。映像では、人物の動きやゾンビたちの脅威に気をとられて、ついついキャラクターたちの日々の<喪失感>について忘れがちなのだが、原作を通して読むと個々が抱えている悲嘆の思いが色濃く伝わってくる。こちらもオススメ!

(日本版コミック公式HP:http://www.asukashinsha.jp/walking-dead/