ストレンジな人びと

               作家 清野かほり

連載第35回

最強の人たらし


「たらす」と言うと、ほとんどの場合、悪い意味に捉えるだろう。だが私がここで言う「人たらし」とは悪い意味ではない。褒め言葉である。

 こうして冒頭から言い訳がましく書かなければならない自分の筆力を、まずは呪っておこう。この能ナシめ。

 本題である。その人物は、人をその気にさせる天才だ。盛る。褒める。乗せる。そして書かせる。書かせた結果が最悪の事態、ボツのこともある。であるから、その気にさせられた人間は最後には少し、その人物を恨むことにもなる。

 熱心に口説かれ、迷いもしたが熱心さに胸打たれ、ベッドに入った途端に背中を向けて寝てしまわれるようなものだ。

 あれ? 一体、なんだったの? したいんじゃなかったの? どういうことなの? どうして萎えちゃったの?

 それをされた人間は、疑問符を連打することになる。

 だが、ここまでなら私もわざわざ天才などとは言わない。それなりに世渡りに長けていて、口が上手ければできる芸当だからだ。

 なぜ、ここまで言うのか。その人物は最終的に、人に嫌われないのだ。おそらく「盛る・褒める・乗せる」の三段論法を使っているとき、その人物は〈本気〉だからだ。その気にさせようとする瞬間は、その相手に惚れている。その瞬間に〈嘘〉はない。

 お酒を飲み飲み会話を交わし、その会話のなかで自ら心を開き、相手の心も開かせるテクニック。その人物の心の扉がどのくらいの角度で開いているか正確なところは分からないが、少なくとも80度は開いていると思う。だから、こちらも同じ程度の角度で扉を開いてしまうのだ。一度、心の扉を開いたら中を覗かれてしまうし、閉じても後の祭りであるから仕方がないのだ。

 だが時が流れれば、その人物の本気も嘘のなさも変化する。「あれ〜、そんなこと言ったっけ〜?」という具合に。その度に私は肩すかしを喰らい、落ち込むことになる。だが嫌いにはなれない。

 46年の人生で出会った人びとのなかで、その人物は、人をたらすことにかけては一等賞である。オリンピックでいったら金メダルだ。そして、その人物を追い越す人は、私の今後の人生でも現れない、と断言できる。

 お気付きの読者もいるかも知れない。最強の人たらし。その人物とは、ここ牧野出版の社長である。