ストレンジな人びと

               作家 清野かほり

連載第34回

夜の絶叫マダム


[この世の果て]とか[天国のなかの極楽]などという場所があるとしたら、その人が行っているところは、きっとそこだろう、と思う。

 単行本になるか、ならないか分からない原稿を書いていたときのことだ。夜風を入れるために窓を開けていた。夜もそれほど深まらない頃、その異様な声は響いてきた。悲鳴だ。耳をつん裂くような悲鳴。

 心臓がドクンと跳ねた。落ち着け、と自分に言い聞かせ、耳を澄ました。悲鳴は何度も繰り返し聞こえてくる。ただ事ではない女の叫び声だ。

 事件か、事故か。婦女暴行か、DVか。どれにしろ、とにかく電話だ。そう思い受話器を取った。だが、そこで指が止まった。110番か、119番か。どちらか迷ったのだ。

 どちらだ。どちらに電話すればいいんだ。

 声は、周囲の建物の壁という壁に反響していた。悲鳴の発生源がどこなのかも特定できない。脳内のCPUはクルクル回転していた。心臓は激しく鼓動し、脇の下には冷たい汗をかいていた。

 悲鳴は途切れず続いている。受話器を持つ手が震えた。電話先を間違えれば生命に関わるかも知れない。いざというとき、警察官では生命は救えない。生命には関わらない程度だとしても、救急隊員が到着すれば、暴行者もその卑劣な行為を止めるだろう。そうだ、119番だ。

 だが、ダイヤルをプッシュしようとした人差し指が止まったのだった。ピンと来た、という表現が正しいだろうか。

 そうだ、あれは悲鳴ではなく歓喜の声だ。

 ああ、やられた! そういうことか――。

 途端にガクッと両肩が落ちた。手から落とすように受話器を戻した。思わず深い溜め息が出る。

 ……ちょっと待ってくださいよ、奥さん。激しすぎますよ、いくらなんでも。反則ですよ。周囲の住人だって、きっと今ごろ何人かは受話器を握ってますよ。勘弁してくださいよ、もう……。

 その後、悲鳴のような歓喜の声は、週に2日ほどのペースで続いた。だが何度聞いても、咄嗟に受話器を握りそうになった。きっとその声が、自分の認識の範疇外にあるものだからだろう。自分の体験からは想定外の声なのだ。

『悲鳴のような悦びの声』

 こうして書き表すと、なぜか感慨深いな。

 最近、その声はまったく聞こえてこない。引っ越したのか、別れたのか。どちらでもいいが、私は少しほっとしている。これで落ち着いて原稿を書くことができる、と。

 だが、あんなに他人を気にせず、自分をまったく客観視せず没頭できるというのは、やはり幸福な状態だろう。他者からすれば、実に羨ましく妬ましい状態ということもできるんじゃないか。

 この『ストレンジな人びと』において過去にも書いたように、幸せの秘訣は自分をポジティブに肯定すること、他人の目なんかど〜でもいいよ、という感覚の局地に立つことなんじゃないだろうか。

 うーん、羨ましい。実に羨ましい。この世の果て。天国のなかの極楽。筆者も死ぬまでに一度は、ぜひとも、そこに行ってみたい。