ストレンジな人びと

               作家 清野かほり

連載第20回

スマホ民族


 最近、ICTの進化について行けない。

 パソコンのOSはどんどん新しくなるし、SNSなんかもどんどん増える。気がつくと周りはみんなスマホを使っている。食事会で集まった計6人のなかで、ガラケーを使っているのは私だけだった。うち3人は最新のiPone6を持っている。

「スマホにしないの?」

 友人に問いかけられる。

「だって、要らないもん。私は基本、ずーっと家のなかに居るんだもん。目の前のパソコンに、ネット環境があるもん」

 彼女は愉しむように追尾してくる。

「LINEなんて、すごく便利だよ」

「LINEを一緒にやるような友達、いないもん」

「は〜ん、引きこもりだね〜」

 少しイラッとする。

「ああ、そうそう、 引きこもり!」

 これが40を過ぎた女たちの会話かと少し呆れるけれど。

 ひと昔前、ケータイにワンセグ機能が付いたとき、山手線なんかの駅のホームで、みんなケータイを片手に持って、横向きにした小さな画面を覗き込んでいた。スーツ姿のサラリーマンも、OLさんも、学生さんも。それはもう数十人単位で、みんな一斉に同じポーズ。それが私からすれば、なんだか異様な光景だった。

 そしてここ数年、スマホが普及してきて、電車内にいる人もまた、みんな同じポーズになった。人差し指と親指で、小さな画面をタッチ。サッサッと、またタッチ。何をしているのかとお隣さんを覗くとゲームをやっている。『ぷよぷよ』だかなんだか、そのネーミングは知らないが、おじさんも女子高生も同じようなゲームをやっているのだ。ゲーム以外では、メールかLINEかfacebookかネットサーフィン。車内にいる半数以上の人が、みんなスマホを弄っている。ワンセグのときと同じように、みんなが同じポーズだ。

 先日、外出先でスマホを持っている友人に頼んだ。

「牧野出版、検索して。カタカナじゃないほうの牧野ね」

 彼女は小さな画面を見ながら首を捻り続けている。

「検索できない? ヤフーだよ、ヤフー」

「分かんない」

「じゃあ、グーグル」

「分かんない〜」

 え? なんで分かんないのさ。

「じゃあ、インターネットのブラウザ、起ち上げて」

「ええ?」

 ……もしかして……悪い予感がする。

「ネットできないの?」

 彼女は無言で頷いた。頭がくらくらした。「じゃあ、スマホいらないじゃん!」と思わず叫んでしまった。

 なんなんだ。なんでみんな、こんなに同じにしたがるんだ。ネットやらないのにスマホを持ちたいか? いつもSNSで誰かと繫がっていたいか? 人と人のコミュニケーションは以前より密になっているのか? 密と言いながら実は逆に希薄になっているんじゃないのか? どうして日本はこんなことになってんだ?

 次々と襲ってくる疑問に、私は対処することができない。

 はっきり言って私は「みんな同じ」という現象が怖ろしい。みんなが一斉に同じ行動を取るという習性が悪いベクトルへと向かってしまえば、雪崩式のように悪い事態を呼び寄せることもあるからだ。たとえばイジメとか、極論をすれば戦争とかをだ。

「みんなと同じ」じゃないことに、わずかでも恐怖を感じるという人は、日本にどれくらいいるのだろう。現在でこそ学校も企業も「個性を尊重」とか言っているけれど、これは昔から続いている「根深い日本の教育」というものに起因してるんじゃないだろうか。

 嫌だよ、みんなが同じなんて。気持ち悪いよ。

 みんな違っていいじゃない。みんな違うからこそ、適材適所の役割分担ができて、社会が回っていくんだから。人と違っていいじゃない。それこそが「個性」じゃないか。だから断固としてスマホを持たない、私のような人間がいたっていいのだ。

 なんてこうして、最近のICT技術について行けない私は、一人ぶつぶつ呟くのであった。こうして、ぶつぶつ、パソコン画面に向かって、ぶつぶつぶつぶつ……。やっばり私が引きこもりなだけか?