ストレンジな人びと

               作家 清野かほり

連載第10回

 銭湯女湯



 寒くなると、ときどき近所の銭湯に行く。スパでもスーパー銭湯でもない昔ながらの銭湯。ここに集結するのは、主にご高齢のみなさんだ。

 年齢アベレージは、たぶん70歳。たとえば60歳くらいの女性なら、私からすれば「おねえさん」だ。そして70歳くらいからが「おばさん」。80歳くらいなら「お婆ちゃん」と言っても差し支えないだろう、というような年齢構成になっている。よって私などは、まだ若者の部類だ。

 大きな湯船にゆったり浸かって、体の芯からあったまるのが第1の目的である。ということは、第2の目的もある。

 おねえさんやおばさんがいっぱいの銭湯に行く、第2の目的。それは「将来の自分を推測するため」だ。

 体を洗いながら、湯船に浸かりながら、私は人生の先輩たちを何気に観察している。ピーピング的で申し訳ないけれど。

 歳を重ねれば重ねるほど、女は大胆になる。まず、隠さない。床に落ちたタオルを拾うときも、わざわざしゃがんだりせずに、腰を曲げただけの体勢でそのまま拾う。結果、背後にいる私の目にはリアルなソレが飛び込んでくる。見慣れた自分のものと大差はない。けれども生々しすぎる。

 少し心を落ち着けて湯船に浸かり、浴場内をゆったり見回す。

 ああ、太めのおねえさんのお尻は、あんなふうに大きな四角になるのかぁ。スレンダーなおばさんは筋肉が落ちると、あんなふうにあばら骨や骨盤が浮き出るのかぁ……。

 70代でもキメが細くて白い肌の人もいれば、40代でもゴボウのような自分もいる。女の裸、まさに人生いろいろ、人それぞれだ。

 だが共通点もある。それは乳が垂れることだ。大きくても小さくても乳は垂れる。脂肪が極端に少なくなると、インドカレーについてくるナンになる。乳の下垂を防ぐことは、女にとっての難題だ。

 ここで、とりあえずの結論。体型はやっぱり中間がいい。乳が大きいと垂れ方がダイナミックだし、痩せていて小さいと二つの三角定規みたいになる。

 今のままでいくと、三角定規になっちゃうな。

 こうして未来の自分を予想しながら銭湯タイムを満喫しているのだが、ここに大異変が起きることがある。

 たまに20代や30代の女性が入って来るのだ。

 すると入浴中の女性たちのほぼ全員が、サッとそちらに視線を向ける。少し目を細め、本当に眩しそうな表情で見つめる。そして数秒後、みんな恥じらうように目を伏せるのだ。

 もちろん私も直視はできない。なんだか小さな罪悪感さえ覚える。やはり、眩しい。若い女の裸は眩しすぎるのだ。目のやり場に困る。頼むから近くに来ないでくれ、と念じたこともある。

 やっぱり若いって美しい。生物として美しい。若い頃は、自分のその美しさに気付かないことが多いのだ。

 自分も若い頃は気付かなかった。生物として、女として、今より当然、美しかったはずだ。

 バカだな、それに気付かなかったなんて。ああ、なんと、もったいない。立派な武器だったはずなのにね。