「パズル」PUZZLE 第8回「噂」  井上都


 思い出したことがある。

 私が妹達を伴って北国へ母を迎えに行ったことは前に書いたが、あのとき父が高崎まで行ったのは自身が演出をも手掛けた芝居「きらめく星座」の打ち上げのためだった。この作品はかなり長い地方公演に出ていた。その公演地のひとつが当時私達家族の住んでいた市川だったのだが、そこには後に父と再婚することになる女性も観劇に来ていた。

 私はいつものように父の送り迎えをしていたので、そのときも劇場にいたのだが、駐車場近くで立ち話をする父と母とその人の姿を目撃している。目撃と書くほどの何もなくて、ただ、お客様と話をしている父と母を待っていただけのことなのだが…。

 時が過ぎた後に、何年も何十年も過ぎたあとに振り返ってみると、ああ、あのときにはもう運命の伏線がはられていたのだなと気づく。私は早く家に帰りたかっただけだし、父も母も、あるいは彼女も、その先の巡り合わせなど……考えもしなかっただろうと、私はそう思いたい。

 さて、父と母の劇団が紀伊國屋演劇賞団体賞を受賞してから、正月を挟んでしばらくは、一応の平安を我が家は取り戻していた。昭和61年(1987)のことだ。これも単に、嵐の前の静けさだったわけだが、誰もそうとは知らずにいた。知らずにいたとここでも私はそう信じたいのだが、父との離婚後に母が書いた「修羅の家」という本によれば、この間、毎晩のように父から殴られ蹴られしていたという。

 父がDV夫だったという噂話についてだが、私の知る限り、父はDV夫などではなかった。父と母は大変に仲良しの夫婦だった。ただ、夫婦喧嘩の激しさもこれまた相当なもので、殴る蹴るはまだ序の口だった。取っ組み合いになれば、当然、力は父の方が強い。母は、代わりに包丁を持ち出してガラスを叩き割ったり、ハイヒールの高いヒールで父の頭を打ちつけたりもした。私は、その二人の間に止めに入るのが役目のようなもので、あるときは、父の指と間違った母に噛みつかれ、あるときは勢いあまった父に投げ飛ばされもした。しかし、私が痛い目にあったのが馬鹿らしく思うくらいに、喧嘩の後はその前以上に仲良しになっていたので、私達もそのたびに脅えたり泣いたり止めに入ったりはしても、つい、忘れてしまうのがいつものことだった。

 それでも、いま、思うのは、あの頃、あの北国への逃避行の後の母は、父に歯向かっていかなかったなあということである。殴られたら蹴り返す、蹴られたら殴り返す、噛みついてはなれない…そんな母ではなくなっていた。父が殴ったら、されるがままになっていた。「もっと殴ればいい、気の済むまで殴ればいい、それで私が死んだってそれならそれでいいんじゃない」とでも言うような冷めた気配が漂っていた。父は、歯向かってきて欲しかったのではないかと思う。歯向かう妻はいつものこれまでと変わらない妻であると安心したかったのかも知れない。

「殴らなきゃわからないんですよ、このバカは」と言いながら父が母を殴っていたある夜のことは私にも記憶がある。私は止めたし、祖母も泣いて父に縋った。

「そんなに打ったら余計バカになっちゃいますよ」と泣いていた。母の心は冷え切ってしまっていたのだろう。殺されたっていいのよと本気で思っていたのだろう。父は、殴りながらも悲しかったのだろう、いつものようにかかってこいと心で叫んでいたのだろうと思う。DV夫なんかじゃない。ただ、壊れてゆく二人の関係が恐かったのだ。私にはわかる。

 人の真実は誰にもわからない。だから、私もただそう思いたいだけなのかもしれない。だけど、自分の親のことはわかるのだ。わからないはずがない。父と母自身にもわかっていないことだろうと思うが、私にはわかる。打たれた母は傷つき、打った父も木端微塵に傷を受けていた。残念なのは、打つことではなく言葉でその別れの儀式が出来ていたら……別れた後も、かつて夫婦だった気の合う友人にはなれていたのではないかと、思う。

 ある日、私は新宿へ芝居を観に行った。あの頃、父と母の劇団には、すぐ下の妹が文学座研究所で知り合った若者たちが役者として在籍していた。その中の一人が芝居に出ることになったのだ。新宿3丁目にある小さなビルの上にあるほんとに狭い空間で芝居を観た後、私はそのビルの1階にある飲み屋さんに誘われた。芝居のはねた後にいま観たばかりの芝居についてああだこうだと言い合いながらお酒を飲む。若かった私にはそれが大層魅力的な時間に思われた。

 父と母が劇団を旗揚げしたときから付き合ってくれている舞台監督が私の傍にひょいと座った。彼もまた芝居を観に来た観客の一人で、私が所在無く座っているのを見つけて一言二言声をかけてあげようと近づいてきたのだと思うが、しばらく今日の芝居はここがダメだったあそこはまあ頑張ってたかなと当たり障りのない会話の後、言った。

「座長、まだ会ってるぞ」座長とは母のことだった。

「えっ?」

「旅先で彼と会ってるぞ」

 突然のことで答えようがなかったが、私は平静を装い、

「そうですか?そういう噂ですか?」

「いや、噂じゃないよ。まだ会ってる」