「パズル」PUZZLE 第1回  井上都


 父の遺した手帳には「人間のクズ」と書いてあった。私のことだ。

 肺癌が食道にまで浸潤したための痛みで座っていれば両脇腹が、横になれば背中が苦しく、眠れない夜を耐え忍んでいた最晩年の父親が「人間のクズ」と書かずにはいられない娘とはいったいどんな酷いことをした娘なのだろうかと他人は思うに違いない。他人の立場だったら私もそう思うだろう。いったい何があったの? 何をすれば父親は娘を「人間のクズ」と書き残したりするものなのだろうかと知りたくなるだろう。そう、私自身が知りたいのだ。父の手帳に「人間のクズ」という文字をみつけたときから知りたくてたまらないのだ。

 私はいったい何をしたのだろうか。

父が生きていれば、直接訊くことが出来るのにと何度も思った。父が生きていたら、おそらく私を「人間のクズ」と書いたその理由が大したことのないことだと即座に説明してくれただろう。

「いやいや、あのときは俺も苦しくてさ。自分をね、ずいぶん粗末にしている愚かな娘だとただそう感じただけなんだよ。君が気づいてくれたらそれでいいんだよ。俺が教えてやって、ああ、わかったというんじゃなくてね、君が自分で気づいてくれればいいなと、そう思っていたんだよ。そうでないと君、これから君が生きてゆけないよ。」

 そう言うに違いないのだ。わかっている、わかっている。父が生きていれば、「人間のクズ」などという言葉が私の中に残ることはないのだから。書きつけたその言葉を、父自身が即座に消してくれるのだから。父が言いたかったことが私にはわかっているのだから。ただ、一言、父の前にひざまずいて、

「ごめんなさい。許してください。」と言えば、それでおしまいになることだったのだ。しかし、私はそうはしなかった。父がまだ生きている間に謝ることが出来なかった。そして、父は言葉だけを遺したまま死んでしまった。書きつけられて残った言葉は怪物だった。なにより父は作家だったから。言葉を組み立て繋ぎ合せて物語を作る自分の仕事を何よりも大切にしていたから。その大事な言葉で紡がれた「人間のクズ」には相当な力がある。

 しかも、私にとっては父親である。たった一人の父親なのだ。たとえ私に父の考えていたことがわかっていたとしても、つまり大した理由なんかはなかったのだということがわかっているにしても、父自身に消し取ってもらわない限り、父の残した言葉は永遠に消えない。それでは、私が生きて行かれない。「人間のクズ」にがんじがらめになり、本当に「人間のクズ」になりそうだ。自分は「人間のクズ」なのだと思い込んでしまう前になんとかして言葉の魔力から、自分自身を解き放ってやる必要がある。

 だから私は「人間のクズ」の言葉の意味を、決して重さではなく、そう書かずにはいられなかった父のその心の経緯を考えるために書くことにした。

 父がこの世から逝ってまもなく5年になる。私がいつまでも「知りたい」などと言っているので、いまさら何を言っているの、死んだ人は帰ってはこないと身内の中には戒める声もある。過去へ過去へと意識を遡れば、厭なことをもほじくり返すことになるのではないかと心配する気持ちはわかるし、物事は関わった人の数だけ見方があるものだから、あのときどうだったこうだったと独りよがりに言うものではないと私も思う。ただ、このままにしておくわけにもいかないのだ。

 私は仮説を立てた。父が私を「人間のクズ」と書いてしまったのは、裏切られたと思い込んだからだと。そしてさらに考えた。信頼を踏みにじられたと感じたのだとしたら、踏みにじられる前は、私のことを父は信頼していたということになる。では、なぜ父は私を信頼していたのだろうか。

 私には心当たりがあった。いうなればあのとき父は私を「自分の理解者」だと決めたのだと、そう考えられる夜があった。1985年11月28日、あの夜のことから思い出してみよう。