「パズル」PUZZLE 第16回「父の声」  井上都


 妹に届けられた1枚のCD。父の死の10日前に病院のベッドの上で吹き込まれた父の声。

「こんな怒ったパパの声、聞いたことない」と妹は泣いていた。

「聞かせてみて。受話器に向かって再生してみて」

 父の、どちらかといえば怒ったときの声をより多く聞いてきた私には、聞こえてくる父の声がひどく怒っているようには聞こえなかった。ただ、妹にはどうだったろうか。

 父は妹に

「たった一つ取った介護の資格を活かして働きなさい。父が見たいのはお前のその姿である。それが出来ないうちには見舞いになど来てくれるな。しっかりしてくれよ」と、途切れ途切れにそう言っていた。

 とにかく妹を慰めねばと

「きっとすごく心配なんだよ。一番、可愛がっていたんだしさ。病室に来て泣かれても困るし。それに、パパが怒ったときなんてこんな声じゃないよ。ものすごく怖いよ。私は叱られることばかりだったからよくわかる。怒ってるわけじゃないよ、絶対」

「そうか……そうだよね」

「そうだよ。だいたい怒る理由がないじゃない」

 ほんの少しでも顔をみれば安心するのになあ。

 後から知ったが、その頃の父はとても話が出来るような状態ではなかったようだ。肺の癌が食道に浸潤し何も通らなくなっていた。背中の痛みもあった。妹が会いたがっていることは知っていただろうから、せめて声だけでもと思ったのかも知れない。

 しかし、まさかその日のうちに父が死んでしまうとは考えもしなかったから、受話器をおいてから何度も呟いた。

 顔をみるだけでいいのに、どうして会ってあげないのだろうと。掃除機をかけながらいたたまれない気持ちにもなっていた。

 親に会うということはお見舞いなのだろうか。他人なら病院に行けばお見舞いだろうが、子が親に会いたいと会いに行くことのどこに「許可」のようなものが必要なのだろう。「資格」のようなものが求められるのだろう。

 なんだかひどく悔しかった。それでも、私自身が動けなかったのだ。父がその夜には死んでしまうと思っていなかったせいもあるが、子が親に会いに行くのは当たり前のことだと思いながら動けなかったのは、きっと怖かったからだ。父の拒絶にあうのが怖かったからなのだ。

 その日、夜になって、父が死んだことも知らずに、私は数少ない友人二人に電話をかけている。自分がどうして会いに行くことが出来ないのか……ただただ聞いてもらいたいためにかけたのだと、今はそれがわかるが、あの夜は「ねえ、会いに行かれるわけがないでしょ?」と誰かに確認したかったのだ。

「だったら、会いに行かなくても仕方ないわね」とそう言ってそれを認めて欲しかったのだ。しかし、

 「お願いします。すぐに会いに行ってください。たとえ、会ってくれなくても、あなたが行けば、井上さんわかるから。会ってもらえなくたっていいじゃない。ね、だから明日すぐに行ってください」

 と、涙ながらに友人は言った。

「うん、そうする。明日、行ってくる」

 ああ、そうだそうだった。会えなくたっていいのだ。会いに行けばいいだけなのに、私ったら何を渋っているのだろう。

「ありがとう」と電話を切り、すぐに妹に電話をかけた。

「明日、パパのところ行ってみよう。二人で行っちゃおう」

「うん、行こう、行っちゃおう。二人ならよかった。明日、行こうね」

 父はもう死んでいたのに、私は心からホッとしてふとんに入った。