「パズル」PUZZLE 第10回「子供が小さいままでいたら」  井上都


 本屋さんで時間を潰していたらケストナー作『人生処方詩集』を見つけた。懐かしくなり思わず手にとった。

 いつだったかすっかり忘れてしまったけれど、まだ私が芝居の仕事をしていた頃、ケストナーのユーモア小説三部作の中の一冊『雪の中の三人男』をモチーフにした新作戯曲を父が書こうとしていたことがあった。どんな構想だったかも残念ながら失念してしまったが、幼い頃に親しんだケストナーが急に現れたような気持ちになり期待でワクワクした。しかしその戯曲は結局書かれなかった。話は決まって二転三転し、最終的には一番最初に得た着想はどこへやら……そういうことはよくある珍しくないことだった。普段から本は好きでも、小説をあまり読まない私は、それでもケストナーの「人生処方詩集」を鞄に入れ持ち歩いた。そんなことを思い出して懐かしかったのだ。何度かの引っ越しで消えてしまった本の中の一冊であるその小さな詩集を迷わず買って帰った。

 『人生処方詩集』にこんな一編がある。題名は「母親が決算する」。

 母親がベルリンに行った息子を想って語りかける。


 いっしょにいた時分は どんなにたのしかったろう。

 ひとつ家のなかで……

 ひとつ都会で……

 夜なかに目がさめて ねながら

 列車の走る音をきいている

 あの子は 今でも 咳をしているだろうか。


 あの子の子供靴を まだ一足

 わたしは持っている

 今じゃ大きくなって わたしを 

 こんなにひとりぼっちにさせる

 わたしは じっと こしかけている

 そして こころが落ちつかない

 子供が小さいままでいたら

 いちばんいいのだが


 父と母とで劇団を旗揚げする前年、私は20才の成人式。すぐ下の妹は舞台女優になるべく文学座俳優養成所に入り、末の妹は駿河台にあった文化学院に入学した。

 いま思い返せば、あの年は、我家の実に分岐点であったと気づく。一番年下の妹が義務教育を終えて、三人三様、それぞれにふさわしい道に、とりあえずは進んだ。送り出したと父も母も「一段落」という気持ちが少なからずあっただろう。いま、ちょうど息子があの頃の妹と同じ年齢になって、私には自分の実感としてそれが分かる気がする。「一段落」と思いたい親心がわかる。実際の我が子は願う通りにはなってやしないのだけれど、ここから先はあなた次第と、少々突き放したい、子供から解放されたいと思ってしまう親心がわかる。しかし、子供はまったく違うことを考えている。子供からしたら、いくつになっても親の家で、親と共に生活をしている間は、子供の時分となんら変わりなく、ただ、成長したぶんだけ将来に夢見がちになったというくらいの違いしかないのだ。親の「一段落」など、知ったことじゃないのだ。変わりなくそこにいるのが親であると、疑うことがない。

いろいろな家族があるので、すべての家族がそうだとは言えないが……。

 私はこう思うのだ。あの頃の父と母の気持ちは理解できる。正に私もそうだから、よくわかる。しかし、それは親の勝手なのだ。もちろん、親には親の役目がある。自分の人生もある。前を向いて一生懸命歩いていかなきゃならない。それを子供にみせてやらなくてはならない。だけど、子供を突き放したりしてはいけない。子供から解放されたいなどと思ってはいけない。子供は巣立っていくもので、それを見守り見送って、なお、親はいつも変わりなくそこに居続けなくてはいけないのだと。

 家族もまた変化する。子供は成長し、親は老いる。それは幸せなことだし、ずっと同じようには暮らせない。いつかは別れるときがくる。だからこそ、それは自然な時の流れのなかで行われることでなくてはいけない。無理にはがそうとしたら傷がのこる。

 父も母も、ずいぶん必死で生きていたと充分に認めるし、仕事も大切、劇団も結構、だけど、少し間違ったんじゃないかな。仕事も劇団も、家庭と並行させて頑張らなくちゃきっと駄目だったんじゃないかな……どんな大きな仕事をしようとも、親は親で、親であることは変わらない。何かと替えることは、出来なかったのではないかな。残念だったとそう思う。

 突き放したわけじゃないさ、親であることを投げ出したわけじゃないと、父も母も言うだろう。それは誤魔化しなんかじゃないとわかっている。

 劇団を作ろうと毎日毎日忙しく働いていたあの頃、私達子供がいないところで、聞いていない時間に、

「子供達が小さいままだったら どんなによかっただろう」と、父と母は話さなかっただろうことが、いまも残念でたまらない。