「パズル」PUZZLE 第17回(最終回)「家族」  井上都


 『パズル』というタイトルは、劇作家だった父が書き上げることなく途中で筆を止めた戯曲『パズル』から、無断でとってつけた。

 父と思いがけない淋しい別れを経験したが、父からも「人間のクズ」と手帳に書かれてしまいはしたが、私は父を恨んだことはない。むしろ、父の死の時、父の傍にいた人達を恨めしく思っていた。

 父親に書き残されてしまった「人間のクズ」という言葉を、本当は父に消してもらいたいと願ったが、死んでしまえばもはや無理だと思い、それならば、自分で打ち消そうと思って書き始めた。「人間のクズ」と言われたままでいるのは、自分自身が可哀想だと思ったからだ。自分を救いたい。自分で救ってやる。救ってみせると意気込んだ。そのためには父のことを知らなくてはならないと思った。私を「人間のクズ」と感じた父は、どのようにそんな父になったのかを知りたいと思ったからだ。

 本当のことを付け加えれば、「人間のクズ」の文字の隣りにこうも書いてあった。

「愚かな娘だ」。

 「クズ」は悲しいけれど「愚か」というのは、私には小さな光に思えていた。その一言があるとないとでは、全く違う。

 

 父が書き上げることの出来なかった『パズル』という戯曲は、確か、ミステリーのはずだった。女の双子がいて、どちらかが殺される。そこに刑事がきて……。読んだことがないから分からないけれど、真夜中に父と母が話し込んでいた会話の断片からそんな筋立てを耳にした覚えがある。

 パズルのように、1ピースずつを空白にはめ込んで「家族」という1枚の絵を完成させたい。「家族」という捉えどころのない厄介で愛おしい繋がりを私なりに言葉で表せたら……と『パズル』のタイトルをもらった。

 父を知りたい気持ちと、父の傍にいて私を遠ざけた人達を恨めしく思う気持ちと、私自身をなんとかして救いたいという思いで書き始めたが……書けなかった。

 もっとも大きな理由は、私には書く力がないということだ。書く力、拙くても乱暴であってもとにもかくにも一つの「書きたい思い」で貫かれた一番肝心なものがないということだ。さらに、父のことを知るには、父の書いたものをもっと読まなくてはどうにもならないと痛感したこと。父は作家だったから、仕事を何よりも、少々腹立たしいほどに、自分の人生の中心において生きて働いた人だったから、どんな事柄によりも、書いたものに自分を注ぎ込んだはずだと気づいたからだ。

 そして、私の中にあった父の死の傍にいた人達に対する恨めしさが、手に余るほど強かったはずの恨めしさが、月日が過ぎる毎に、薄くなり、いまやほとんど影も形も消えてなくなってしまったということも大きい。

 父と母、そして二人の妹は、何年の年月が過ぎても、死という永遠の別れが巡って来ても変わらない大切な家族だ。また、父の新しい家族、母の新たな伴侶、も、父と母を通してではあるが、大事に思う家族である。そしてなによりも私が選び一緒になったいまは亡き彼、その彼との間に授かった息子はかけがえのない「私の家族」である。

 勝手に書きなぐってきて、ようようこのことが心に響いた私は本当に愚かである。

 この場を授けてくださった方々、読んでくださった方々にはお詫びの仕様がない。

 本当に申し訳ありませんでした。お許しください。

 強がった自分、意気がった自分、自分一人で生きているつもりでいた自分を、ここで清算したいと思い『パズル』を閉じさせていただくことにした。

 恨みも憎しみもパワーである。破壊力の凄まじい力である。時に、その力に救われることが私にもあった。父が遺して逝ったものは、それなのだと考えていた私がいた。

 だけれど、皆様の時間を巻き込みながら、私はようやく気づくことが出来た。

 私は愚かな人間だけれども、クズかもわからないけれども、どうあっても誰かを傷つけたくはないのだということに。

 ありがとうございました。