ー小説「ID(アイディー)」は構想10年とうかがいました。10年なぜかかったかということと、書くきっかけとなったことを教えてください。
十数年前なんですけど、ドキュメンタリー番組であちこちのストリートチルドレンの番組をやっていたんですね。モンゴルだったりとか東南アジアだったり。それを見ていて、日本でこうなってもおかしくないんじゃないかなとぼんやりなんですけど、そのころ思い始めまして。
それで第一稿を書き上げたんですね。それは2001年でした。直後くらいに、ニューヨークの同時多発テロ、9.11が起きまして、貿易センタービルに旅客機が突き刺さるところを見まして、これは宗教絡みじゃないなっていうのを直感的に思ったんですね。ああ、こういう時代に突入しつつあるんだというのが怖くなりまして、やっぱりこれは世の中に出さなくてはいけないと。そこから今、13年経っているんですけども、上手く出せなかったんですよね。時代にあわなかったんでしょうその頃は。今、2014年やっと無事に出版することができてよかったなと思っています。
ー格差社会における、貧困層の子どもというところに注目したのはどうしてですか?
大人は、そういう状況になってしまうと先が短いから希望を抱きずらいと思うのですけど、子どもって先が長いから希望を抱けるし、心が自由だし可能性はどんどんあるので彼らが自ら考えて行動して、何かを変えたいという意思を持って動くと、そこにパワーが出てくるなと思ったんですね。物語として力強くなるだろうと思いました。それから、子どもたちというのが一番苦しい状況に追い込まれやすい、そういう年齢層だと思うので、一番苦しいところからでも自分たちの力で状況を変えていこうとする、その力強さパワーを描きたかったですね。それが物語、小説のダイナミズムになるんじゃないかと思いました。
ー舞台は2040年ですけど、出てくる子どもたちはデジタル機器を持たず、非常にアナログ的ですがそこはなぜですか?
極度の格差社会というのをテーマにして書いていますので、持つ者と持たざる者の差というのがはっきり分かった方がいいなというのと、必然的にそうなるだろうと。貧困層の子ども全員がモバイルもったりっていうのは考えずらいと思ったので一部のお金持ちが住む地域、小説の中ではアッパーという言い方をしてるんですけど、そこの都市は整備されていて最先端のビルが建っていたりするんですけど、一方で放っておかれているスラム街とかストリートというのは国が全然お金をかけないで、その落差ですよね。そこに問題提起ができるんじゃないかと思いまして。
ー今の子どもたちは、ネットとかデジタル機器でつながることが多いと思いますけど、小説の中ではみんなリアルなコミュニケーションしてますよね。
結局は、機器を取り外してしまうと寄り添うしかないんですよね。肌を密着させてじゃないですけど、一番のコミュニケーションは顔と顔と見て、語り合って深まっていくものかなと思っているので、別にデジタルが悪いっていうわけじゃないんですけど、便利でいいんですが、原点に戻ったときに本当の素の人間で、しかもそこで育っていくんじゃないかと思いますね。