ストレンジな人びと
作家 清野かほり
連載第18回
人生パラライス
20代の頃に勤めていた、広告制作会社の社長が面白い人だった。当時60歳くらいの関西出身のおじさんだったが、その人は頭が柔らかく、あちこちに発想が向く。
その人の口癖が「人生はパッパカ・パラライスやで〜」
意味は分からない。「パラダイス」を「パラライス」に変換し、冠に「パッパカ」を付けたことで、確かに軽快さと軽薄さは増しているけれど、やっぱり真の意味は分からない。
そして座右の銘が『明日できる事は、今日やらない』だ。
これが20余名の社員を抱える社長の仕事方針だ。……カッコよすぎるじゃないか。真意は分からないけれど。
この社長は社員から「社長」と呼ばれることを異様に嫌っていた。
「社長と呼ぶな。(名字の頭文字を取って)てーさんと呼べ」
なかば強制。まあまあ面白い強制だったから、私も乗った。
ある日、てーさんに呼ばれた。席まで行くと「銀行に行って給料を下ろして来い」と言う。その頃、社員の給与は銀行振り込みではなく、現金支給だったのだ。
「私が行くんですか?」
駆け出しのコピーライターでしかない私に、なぜ全社員の給料分を下ろしに行かせるのだろう。分からない。
「そうだよ。500万円、下ろして来てぇな」
500万円! 正直びびった。まだ24歳で社会人としてもペーペーだった私は、もちろん500万円もの現金なんて触ったこともないし、見たこともない。
「下ろして持って来るだけでいいんや」
私は重い溜め息をついた。なぜ、てーさんは私に、こんな大役を任せるのか……。
銀行で手渡された現金500万円、分厚い札束を私は胸に抱いた。会社までの帰り道は、異様に長く遠い道のりだった。
途中で引ったくりに遭ったらどうしよう。会社戻りの時間が遅くなったら、現金を持ち逃げしたと疑われやしないか……。心臓はバクバクし、脇の下からは冷たい汗が流れた。本当に体に悪い。
たぶん、私は試されていたのだ。いろいろな意味で。そう考えると、てーさんはいつも、自分にとって何か楽しいことを考えていたのだと思う。
その時代、国全体が米不足になった時期があった。日本は外国から大量に米を輸入した。だからレストランに行くと、ランチ定食には細長いタイ米が出されたりした。
そんなとき、ニヤニヤしながら、てーさんは言った。
「うちの会社で闇米を買い占めようや。そして『パールライス』のパッケージデザインをパクッて、米の名前を『パラライス』にして売るんや。儲かるでぇ〜」
パラライス……。実に不味そうなネーミングだ。だって米がパサパサして美味しくなさそうじゃないか。『パラライス』という名称からは、「パラダイス」という明るいイメージも見出せない。
だが私もニヤニヤしながら頷いた。うん、大丈夫だ。《パラパラした美味しいチャーハンが作れる!》というキャッチコピーをつければ売れるかも知れない……。
いま思い出しても、てーさんという人は面白かった。ポジティブだから周りの人間も明るくなる。ユーモアがあるから惚れてしまう。てーさんが、せめてあと20歳若ければ、私としては間違いなく恋愛対象になった。
あ、けっこう私、あちこちで恋してるな。なのにやっぱり46年間、独身なのだ。なんだか自分が憐れだ。