ストレンジな人びと
作家 清野かほり
連載第16回
注意力欠陥者
[注意欠陥多動性障害/ADHD]という言葉を知ったのは十数年前だ。自分がその種の人間に属すると知ったのも、ほぼ同時だった。
注意力が足りなくて、やたら無意味に体を動かす。そのため日常生活にいろいろ支障を来してしまう。そこが問題らしい。筆者の場合は、多動より注意力に欠陥があるほうが色濃く出ている。
駅や街を歩いていると、知らない人によく声を掛けられる。その人たちの言葉のほとんどが「引きずってますよ」だ。
親切に教えられて気付くと、ポケットから垂れ下がったiPodのイヤホンを地面にずるずる引きずっている。これに併せて冬には、長いマフラーをずるずる引きずっていたりするのだ。
「あっ、すみません。ありがとうございます」
私は今まで何十回、このやりとりをしただろう。とても数え切れない。
当然、物もよく紛失する。左右がセットになっているピアスや手袋は、どちらか片方を必ずといっていいほどなくすし、帽子もなくす。腕時計などは今までに10個くらい失っている。雨傘などは何十本になるか想像もつかない。
両手に荷物を持ち歩いていると、片方をどこかに置き忘れてくる。だから荷物はできるだけ簡潔にする。よって手に持たないで済む肩かけバッグか、リュックを愛用している。
新年会で友人宅にお呼ばれしたときのことだ。隣に座った友人に何度も注意された。私がテーブルの料理に手を伸ばすときだ。
「袖、料理に着くよ」
「あ、ごめん」
フリースの袖が、いろんな料理に触れてしまうことに気付かなかったのだ。
「ほら、また着いてるって」
「ああ、ごめんごめん」
私が何度も何度も同じことをするものだから、酔った勢いもあってか、友人はとうとうガチギレした。
「袖に着くっての! 袖にポテチの油が着くだろう! バカか、おまえは!」
「あああ、ごめん」と言いながら、そんなに怒ることないだろう、と思う。大人なんだから、そんなことでガチギレするなよ……と。だが、そんなことでガチギレさせてしまう自分も相当、大人げないってことなんだろう。
数年前、注意力に欠陥があることを最大限に証明してしまう出来事があった。
当時、背負っていたリュックの内ポケットに、私は現金10万円を入れて持ち歩いていた。それは震災後にとった私なりの対策だ。緊急に逃げなければならない事態に遭遇したとき、現金が入ったリュックを背負い、飼い猫を胸に抱いて逃げれば、とりあえずは何とかなると考えていたのだ。
そんなある日、大型スーパーでお安くてデザインもステキなリュックを見つけた。いま使っているリュックも古くなったから思わず買ったのだ。それを買った足で友人の家に遊びに行った。
買った物はすぐ使う、使わない物はすぐ捨てる習性のある私は、古いリュックを友人宅のゴミ箱に捨てた。もちろん中身は全部、新しいほうに入れ替えて。
数十分後。友人がゴミ箱からリュックを拾い上げた。
「これ捨てちゃうの? まだ使えるんじゃない?」
そう言いながら彼女は古いリュックを検分し始めた。そして叫んだ。
「何これ! これも捨てるの!?」
彼女が手にしていたのは、茶封筒に入った現金10万円だった。
「何!? あんたってスゴイ!!」
本当に嬉しそうに彼女は笑った。私はただ絶句するしかなかった。
このビョーキはきっと一生、治らないだろう。なにしろ、これは物心がついたときからだから。物を忘れたり紛失したりすることは私の人生にとって、ずっと後ろをついてくる野良犬みたいなものだから。
あ、そうか……。少し分かった気がした。
私はこうして今まで十数人、大事な彼氏もどこかに置き忘れてきたのかも知れない。それで46年間、独身なのかもな。