鵜の目鷹の目ココロの目 第45回

基礎研究と応用研究 志村史夫

 

今年のノーベル賞の自然科学系3賞が発表された。化学賞は分子機械(ナノマシン)というやや応用研究寄りのものであったが、医学生理学賞と物理学賞はそれぞれ「オートファジー」、「量子力学・トポロジー」に関する基礎研究だった。医学生理学賞の受賞者が日本の大隅東工大栄誉教授だったこともあり、日本の新聞には「基礎研究大切にする社会へ弾みに」というような見出しが躍っていた。

基礎研究と応用研究についてはさまざまな定義がある。

 「応用研究」は目標・目的がはっきりしているので考えやすいが、「基礎研究」の場合、何を「基礎」と考えるかで「基礎研究」の中味も違ってくる。

私は、基礎研究の真髄は“真理の探究”だと思う。もちろん、はっきりした目的を持つ基礎研究もあり得るが、やはり、基礎研究の本質は“知的好奇心に基づく遊び、道楽”だろう。“道楽”は個人でも集団でもできるが、基礎研究はその性格上、どうしても個人的にならざるを得ない。独創的基礎研究は“個人的”そのものである。

 基礎研究をやろうとする者は“道楽者”なのだから、冷遇されてもめげず、清貧にも甘んじる覚悟が必要である。もちろん、基礎研究をやっていて、たまたまアインシュタインのようにスーパー・スターになることもある。アインシュタインまでいかなくても、ノーベル賞をとって、スターになることもあり得る。しかし、それはあくまでも“たまたま”であることを忘れるような者は“道楽者”ではない。基礎研究とはそういうものだと思う。技術ジャーナリストの論客として知られる西村吉雄は「衣食足りて礼節を知る。けだし基礎研究は、衣食ではなく、礼節である。文化・芸術の仲間であって、金儲けへの寄与は、あったとしても、望外の結果に過ぎない。生産財ではなく、消費財なのだ」とじつに的を射ている。

基礎研究と応用研究は理念的に明瞭に対比されると思うが、もちろん両者は無関係ではない。

 工業生産に直接貢献する生産技術は技術開発の成果に依拠する。技術開発は応用研究の成果に依拠する。応用研究は基礎研究のの結果に依拠する。生産技術に近づくほど「費用対効果」の効率は高くなる。生産技術に近づくほど的が絞られるから研究あるいは開発に必要な資金と人材を効率的に投じることができるからである。基礎研究の中には、将来、応用研究、技術開発、生産技術につながるを持つものある。しかし、つながるのはであって、それも、いつ、どこでつながるかは予測できない。

基礎研究の中には、例えば「宇宙論」や「重力波」のような初めから、上の段階につながる可能性がほとんど皆無、あるいは絶無のものもある。“基礎研究の大切さ”を社会あるいはマスコミが主張するのはよいが、基礎研究にはそのような一面があることを認めなければならない。基礎研究とはである。そもそも、知的なのだから仕方がない。

世界的な物理学者であった寺田寅彦は「応用のありそうな畑は隅から隅まで掘り返される。しかし応用のありそうも見えない畑に もれたもっといい応用の掘り出される日はなかなか来ない。このような荒地あれち の宝を見つけるのは、むしろ直接の応用などは頓着とんじゃくしない道草食みちくさくいの怠け者ともいうべき純粋な科学者でなければならない。」といっている。

(拙著『一流の研究者に求められる資質』牧野出版参照)