ストレンジな人びと
作家 清野かほり
連載第39回 (最終回)
「ありがとう」の人
これまで数十人の〈ストレンジな人〉を書いてきた。だが本当は、私は何も分かっていない。何がストレンジで、何がストレンジでないのか。
現在では〈ちょっと変な人が普通〉という認識に至っている。〈本当に普通の人〉のほうが〈真にストレンジな人〉なのではないか。実はそんな人は、滅多にいないのではないかと考えている。そういった認識に立つと、筆者である私こそが〈どこにでもいる、ごく普通の人〉だと思えてくる。実際、きっとその通りなのだ。
先日は、電車に乗り込んで行くセーラー服姿のお爺さんを見かけたし、子供なしの共働き夫婦二人で、犬8頭と猫2匹を飼っている家もある。冬に飼い猫が炊飯ジャーの上で暖を取っていても平気な人もいる。世の中、けっこうなカオスだ。
最終回だから前置きが長くなった。
まだ福島から上京したばかりの頃だ。会う人、会う人が都会人に見えた。そのなかでも光って見えたのが、私がなんとか潜り込んだ会社で働いていた女性だ。
彼女は「ありがとう」の達人だった。どんな小さなことにも、一人ひとりに「ありがとう」を言う。そして「ありがとう!」という言葉を発するときの、そのハリのある声と、アクセントの心地よさ、笑顔の加減が絶妙だった。要するに、言われた人間を気持ちよくさせるのだ。
それまでの私は「ありがとう」のたった一言が、こんなにも力のある言葉だと知らなかった。東北人にはシャイな人が多く、「ごめん」は抵抗なく言うが、「ありがとう」という言葉をハッキリと口にする人は少ない。大抵は「どうも」という簡略形で対応するのだ。
私は彼女をカッコイイと思った。ちょっとした衝撃だった。都会の女だと思った。だから、彼女の真似をすることにした。
年上の人には「ありがとうございまーす」、同年代には「ありがとう!」と元気に言うようにした。ただそれだけで、自分がステキな女になった気がした。
そう、この話は、べつにストレンジではない。日常の中の「ちょっとしたイイ話」だ。冒頭で〈何がストレンジで、何がストレンジでないのか分からない〉という話を書いたし、もういいだろう。このシリーズエッセイ自体が、もともとカオスだ。
『ストレンジな人びと』の最終回は、なんと縁起のいいことに第39回である。オヤジギャグで言えば「サンキュー」だ。奇跡的である。
この原稿も、そろそろお開きの文字数になってきた。私はここで、最後の言葉を述べなければならない。
昨年9月から始めて約9ヵ月。この下世話でなんの役にも立たない原稿を熱心に読んでくれた読者のみなさん、この仕事の関係者のみなさんには感謝している。
本当にサンキューだよ。ありがとう!